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ふたりの経験値ー50回目のファーストキスー

アダム・サンドラーとドリュー・バリモア主演の「50回目のファーストキス」は、いかにもかわいらしいベタベタのラブコメディだが、他の作品と一線を画するように思えるのは、その舞台がハワイだからだろうか。
青い海と白い砂、爽やかな空の映像が、心をいつもより半オクターブ上げてくれる。

なぜハワイが舞台なんだろうと、最初は単純に新鮮さばかり感じたが、物語が進むにつれてなるほどと思うようになった。
この物語、季節感が邪魔なのだ。

ヒロインであるルーシーは、1年前の10月、交通事故がきっかけで記憶障害を持つようになった。
記憶が一日しか続かない。
一晩眠れば、前日に起きたことはすっかり忘れてしまっている。
彼女の記憶は交通事故に遭う前日で止まっていて、彼女の毎日はいつでも10月、父親の誕生日。
毎朝、決まったダイナーで食事をし、ガレージの壁にペンキで絵を描き、夜にはバースデーケーキでバースデーソング、同じDVDを観て涙を流す。

それは全て、家族や友人たちが、彼女を傷つけないように同じ毎日を演出しつづけているからなのだけれど、それが成立するためには一年中同じ気候の土地でなくてはならない。
つまり常夏の島がちょうどいい。

そういうわけで、舞台はハワイの空の下なのだ。
別にそういう解説をどこかで読んだわけではなく、あくまで私の憶測なのだけれど、大方これは当たっていると思う。

「こういうことに気づくと、なんかすごく嬉しいんだよね~」と私が言うと、彼は「知ってる」と笑った。
私がそういうツボを持つ人だということを、彼はよく知っている。

私の思考回路を読みたいと彼は以前よく言っていたけれど、最近ではもう解読に難がないらしい。
たやすく私の考えることを先回りする。

「50回目のファーストキス」。
ある朝、忘れんぼうのルーシーに恋をしたのは、ヘンリー。

翌朝、ルーシーが彼のことを忘れてしまっても、彼は毎日彼女を口説きつづける。
毎日が初対面。
毎日が恋のプロセス。
毎日がファーストキス。

いつもお互いに自己紹介から始めなくてはならない。
時によってはたちまちに恋に落ち、時によっては同じ言葉で彼女を怒らせてしまったりする。
逆にいえば、どんな失敗だって彼女は忘れてしまうから、チャンスは何度でもあるとも言える。
けれど、どんなにうまくいっても、必ずその恋は彼女が眠りにつくまでしか続かない。

会うたびにスタートラインに立ち、どうやって相手を振り向かせるか、どうやって想いを伝えて、自分を好きになってもらうのか。
シチュエーションは確かに奇想天外なコメディだけれど、私は少し共感した。

ある晩に別れ、また翌朝逢うとしても、逢っていない時間にさえそれぞれの生活は送られている。
まして週に一日しか逢えないなら、逢えない6日間のうちに、互いが知りえない変化が起きているかもしれない。
仮に隣で眠っていても、一夜のうちに見た夢が人に影響を与えることだってないわけじゃない。

滑稽に思われるかもしれないが、私にとっては、毎度ゼロからのスタートみたいに思う部分がある。
相手の心を捉えて、ほぐして、どうやって近づいていくか、いつも慎重に「出逢っていく」。

忙しくて強いプレッシャーの下にある彼に、いったい私は何ができるのか。
どうすれば、彼の心は少しでも癒されるのか。
確実に正しい答えは知らないし、時には良かれと思ったことが逆効果になってしまうかもしれない。
前によかったことが次もいいとは限らない。

彼は何を言ったかや、何をしたかなんて気にしなくていいよと言うけれど、ほころぶ顔に安心を得たいのか、会いたい気持ちの言い訳のためなのか、あるいは私という存在をただ確かめたいからなのか、できるなら何かしてあげたいと思う。
そこにはいつも、チャレンジがある。

もちろんそのチャレンジを支えるのは、私もまた彼を「知っている」ということ。

たとえいつもはじめましてからスタートしても、ヘンリーはルーシーのことを知っている。
だから、スタートの立ち上がりはどんどん早くなっていくし、どんどん確率も上がっていく。

いわゆるPCやTVゲームにおけるRPGでは、モンスターを倒すたびに経験値を貯めて、その結果レベルアップし、体力が増えたり、新しい魔法を使えるようになったりする。
経験値は積み重なっていくものでレベルも時につれて上がっていくもの。
決して逆戻りはしないし、ゼロにもならない。

一方、「風来のシレン」や「トルネコの大冒険」などのダンジョンものと類されるゲームでは、モンスターに倒されると経験値もレベルもゼロに戻ってしまう。
持っていたアイテムは全てなくなり、一度入ったダンジョン(洞窟やタワー内部などの迷路)は形状が変わってしまうので、憶えた道順は意味をなさなくなる。
そんな酷なシステムなのに、それでもプレイヤーがゲームを先に進めていくことができるのは、たとえ数字で経験値をスコアリングしなくても、プレイヤーは武器や道具の使い方やモンスターの特徴を、プレイしながら自分の中に貯めていくからだ。
毎回腕力が弱い状態からスタートしても、頭を使うこと、経験を活かすことでそれを乗り切っていくことができる。

つまり経験値というのは、スコアじゃない。
行った場所や食べたものの履歴でもない。

私が何度記憶をなくしても、何度だって誰よりもうまく私を口説き落とす自信があるよと彼は言う。
私のツボを心得ているから、うまく私と知り合って、うまく私を喜ばせ、うまく私の心を掴むのだろう。

では私は、彼をうまく口説き落とすことができるのだろうか。

時を重ねることがふたりの関係の強さを裏付けるのだとしたら、早く時が過ぎて欲しいと思う。
けれど同時に、限られた時間を消費していっているのだとしたら、時はいつまでも止まっていて欲しいと思う。

この矛盾の上に、不思議な距離感のもとに、もどかしくデリケートな感情がある。

経験値が時との関連性を持つことは確かだが、それだけではない。
時間が経ったからといって、思い出がいっぱいあるからといって、それで必ずうまくいくとか、常に相手の心を捉え続けられるとか、そういうものでもない。
けれど、互いを知るという経験値は、言葉を超えたタイミングにつながっていくもののようにも思う。

時を重ねてほどけていくもの。
時を重ねても張っているもの。

生まれては消えていく気体。
瞬いて空に昇る、春の想い。


50回目のファーストキス 50 First Dates(2004年・米)
監督:ピーター・シーガル
出演:ドリュー・バリモア、アダム・サンドラー、ロブ・シュナイダー

■2016/4/8投稿の記事
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