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HGの正体-のど自慢-

久々に弟たちもまじえた家族揃っての夕食。
お笑いフリークの下の弟が言う。

「レイザーラモンHGって加古川東出身やろ?」

加古川東というのは、加古川東高校のことで、私の実家の隣の市にある公立の進学高校。

「HGって私と同い年やで」
「絶対、友達の友達伝っていったら、おねえちゃんつながんで」
「ほんまやな」

「僕な、HGって天才真島ちゃうかと思うんやけど・・・」

天才真島!

下の弟のナイス過ぎるコメントに、私も、上の弟も身を乗り出した。

ちょうど最近、この「天才真島」について、私は親しい人に話したところだった。
上の弟は、「今の今、思い出した!」と興奮した調子で言った。

天才真島。
今よみがえる、20年前の記憶。

それは、私たち兄弟が小学生の頃、隣町のスイミングスクールに通っていたときの話だ。
私は小学4年生、弟たちはそれぞれ2年生と1年生だった。

最初はおそらくクラスの誰かが通っているのを知り、習い事好きだった私が「行きたいー!」と言ったのがきっかけだっただろう。
私が行くことになる習い事に弟が巻き添えをくって、結局3人で行くことになることは多かった。

日曜の朝、巡回してくるスクールバスに私たちは乗り込む。
それは25人乗りのマイクロバスで、私たちが乗るときにはいつも3分の1くらい埋まっている。
このバスは隣のO小学校の校区からスタートして、私たちI小学校の校区を通り、やがてM市に入ってスイミングスクールまで、ゆっくりと40分程度のルートをたどる。

乗り込む子どもたちは皆、左胸にイルカのマークがついたお揃いのTシャツと水色のジャージを着て、ビニール製のスポーツバッグを持っていた。
着替える時間をはしょるために、ジャージの下には最初から水着を着込む。
水着は赤と紺と白が幾何学的な柄を彩る派手なデザインだった。

日曜午前のクラスにバスで通っている中に、知っている子は誰もいなかった。
親に車で送り迎えをしてもらっている子や、日曜午後のクラスに通っている子は何人かいたが、どうしたわけか、この日曜午前クラスにスクールバスで通うI小学校の児童は、私と弟たちの3人だけだったのだ。
後に、スイミングスクール通いは学校で大ブームを呼び起こし、クラスの子どもの半分近くが通うという時期もあったが、まだこの頃はそうでもなかった。

習い事の好きなところのひとつは、別の小学校の子どもと接する機会があることだった。
接すると言っても、私は人見知りするタイプだったので、ほとんど話をすることはない。
黙々と習い事の練習をこなすばかりなのだけれど、それでもその「いつもの私のことを誰も知らない」という感覚が好きだった。

そういう場ではたいてい、私はクールで無口だった。
見慣れない子どもたちが賑やかに騒ぐのを、黙って観察しては楽しんでいた。
大方の習い事はある程度器用にこなす方だったので、先生などには一目置かれ、孤独であることも手伝って気にかけてもらうことが多かった。
大学生の先生と個人的に仲良くなったりするのが、ささやかな優越感だったりもした。

まあ、そんな感じの可愛げのない子どもだった。

スイミングスクールのバスの中でも、私はクールなキャラを演じていた。
弟たち2人は、どこでもいつでも騒がしかった。
そして、私たち3人が無視できない強烈な存在が、このバスの中にいた。

彼はいつも一番後ろの席に陣取っている。
O小学校の4年生で、彼より年上の子どもも何人かいたけれど、あの存在感は上級生を確実に上回る際立ち方だった。

「天才真島」
彼は自分のことをそう呼んでいた。
ほんの少しぽっちゃりとした色の白い男の子だった。
くりくりとした天然パーマの髪と大きくてまるい目をしていた。

そして彼は、バスがスクールに着くまでずっとしゃべり通しだった。
どんな内容をしゃべっていたかというのは全然憶えていないのだが、なんだかとにかく面白かった。
逐一、自分のやることを「天才真島少年、○○であります」というような感じで実況中継していたのが印象的だ。
何より、自分を「天才真島」と呼ぶインパクトがすごい。

弟たちは、天才真島が大好きだった。
「真島君!真島君!」と、彼を慕い、好んで真島君の隣に座りたがった。

真島君は一人でバスに乗り込んでくる一匹狼だったが、弟たちが取り巻きになって彼を囃し立て、天才真島ぶりはさらに調子づいていった気がする。
真島君は、弟たちにニックネームを授けた。
どんな名前だったかは憶えていないのだが、それはひたすらくだらないネーミングだった気がする。
それでも弟たちは、憧れの天才真島にあだ名をもらって嬉しそうだった。

おまけに真島君は、頼みもしないのに私にもニックネームをつけた。
これについては憶えているが、あまりにくだらなくて、恥ずかしいのでここに書けない。

真島君と私は直接言葉を交わすことはなかった。
私はただクールを装って、車窓の外など眺めながら、彼が面白おかしく話すのをただ聞いていただけだ。
時折、真島君が私をネタにしたギャグを言っても、聞こえていないみたいに無視していた。

でも、私も、真島君が結構好きだった。ほんとは。
うちの弟たちのように無邪気に憧れを口にしなくても、バスの中に座っている誰もが、本当は真島君が好きだったと思う。
彼の話が聞けるスクールバスに乗るのが楽しみだった。

いずれ私たちは日曜午前のクラスをやめて、土曜午後のクラスに移った。
私が日曜日にバレーボールを習い始めたからだ。とにかく習い事の好きな子だった。
土曜午後の時間帯はスクールバスがなかったので、私たちは片道20分ほどの各停電車で通うことになった。

兄弟3人で、神戸電鉄に乗る。

毎回、電車賃の他に一人100円ずつのお小遣いをもらった。
そして、この100円をどう使うか大いに悩んだ。

消費税さえなかった昔は、たった100円きりあれば、缶ジュースを買うか、アイスクリームを買うか、もしくはシャープペンシルやノートを買うか、置いておいて300円貯まってからレターセットを買うか、そんな選択に悩むことができた。
スクールの後、電車に乗るまでの間を、そうやって毎回悩むのだ。

下の弟は小さいので、私は彼の分の電車賃と買った切符を、電車を降りるまであずかっていた。
ポケットに入れていたはずが、帰りの到着駅で切符が見つからず、大いに焦って仕方なく、2人分の運賃を改めて払ったことが思い出される。

隣町までの道のりは冒険で、楽しかった。
だけど、ただ残念なのは天才真島に会えなくなったことだ。

真島君は、私たちがいなくなった後も、面白い話をいっぱいしているのだろうか。
弟たちのような分かりやすいファンが、彼を囃し立てなくても、ひるむことなく一匹狼に自らを「天才真島」と呼び、ギャグを叫んでいるのだろうか。

今、真島少年は、どんな大人になっているんだろう。
それがレイザーラモンHGであるという大胆な推察は、いかにもうちの弟らしいのだが、実際には別人であることはもちろん分かっている。
真島君は、きっと立派な大人になっているだろう。
今や真島ジュニアなどいるかもしれない。

「一堂零みたいな子やったなあって思うんやけど」と弟は言う。

一堂零というのは、かつて少年ジャンプで連載していた「ハイスクール!奇面組」という漫画の主人公だ。

私は映画「のど自慢」と絡めて彼を思い出す。

スクール後の帰りのバスでは、ラジオでNHKの「のど自慢」が流れていて、一人ずつ挑戦者が歌うたび、運転手のおっちゃんと真島少年が意見を交わす。
「真島少年、これどうや」
「うーん、鐘一つやな」

カン。

「ほら当たりや!さすが天才真島」

鐘が一つで、天才真島が勝ち誇る。
運転手のおっちゃんは渋みのあるお爺さんで、真島君のことを「真島少年」と呼んでいた。

日曜の昼を意識する度、天才真島を思い出すのだ。

のど自慢(1999年・日)
監督:井筒和幸
出演:室井滋、大友康平、尾藤イサオ他

■2005/12/31投稿の記事
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