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マザコン擁護派ー東京タワー オカンとボクと、時々オトンー

少し前のことになるが、母がうちに遊びに来たときのことを書きたい。

バースデー割引のチケットを使って飛行機ではるばると、ひとりで東京にやってきたときのこと。

母がいる。
イビキをかいて寝ている。
田舎にいると自動車でしか移動しないので、電車に乗るだけで疲れるらしい。

今日はお台場でいかにも母が好みそうな店で買い物をして、行きたいかと訊くと行きたいというのでフジテレビを詣で、それから大江戸温泉で湯浴みをして帰った。
東京に来てまでお風呂に入りたいかというと、この人は、どこにいてもお風呂に入りたい人なのだ。
大江戸温泉ならではのテーマパークっぽさを楽しむかというと、そんなわけでさえなくて、ただお風呂に入りたい。
常に目的地に向けてまっしぐら直進する人なのである。

東京だから何をしたいというわけでなく、どこにいても、欲しいものもやりたいことも同じ。
何を食べたいとか、どこへ行きたいかとか、そういう希望は全くなくて、それは別に遠慮をしているわけではなく本当にどうでもいいようだ。
どこでもいつものペースを守りたいのが、うちの母。

ただ私の部屋に来て、ぶつぶつ小言を言いながら、それでも半分以上薄笑いを浮かべながら、隅から隅まで掃除をした。
洗濯バサミが足りないことを何度も取り上げては、「あんたはあかん」と繰り返した。

母は料理は苦手なので、台所に立ってお袋の味を作ってくれるというわけではない。
二泊三日の滞在中、結局私が二度の夕食と朝食を作った。

酒は好きだがすぐ酔っ払う。
ビールを一缶飲みきらないうちに、まぶたが半分落ちて半笑いになる。
場合によっては言いがかりの喧嘩をしかけてくる。

口を開けば、結婚しろだの孫が欲しいだの、そればかり。
同級生の誰ちゃんが結婚したとか、近所の誰々さんところのお嫁さんに赤ちゃんができたとか、そんな話で私をイラつかせる。

いつ見てもおかしなファッションをしている。
人のお母さんと比べてもしようがないが、先日、友達の結婚式でお会いした上品で洗練されたお母様の姿を思い浮かべると、なぜこうもと思うほど恐ろしく違う。
母はもともと首と手足が短いずんぐりむっくり体型だが、まるでテルテル坊主のようにそれが際立つダボついた薄いナイロンコートを着ているので、今回は一緒にでかけてコンパクトな膝丈コートの購入を激しく勧めた。
きっと明るい色が似合うからと薄いグリーンのツイードのコート。
羽織った母を褒めちぎる。

ああ、それがいい。すごく似合う。
若く見える。すっきりしてる。

そうすると、まんざらでもなさそうに、ニヤニヤと笑って「そーぉ」なんてその気になる。
実に単純なのだが、こうやっておだててやらないと、ケチな母はモノを欲しがらない。
仮にプレゼントすると言っても、好きな方より安い方を選ぶ人だ。

母はものすごい田舎の出身で、決して裕福でない農家に生まれた。
彼女が言うには、自宅で勉強をしようとするとおじいちゃんに「勉強なんかするな」と怒鳴られたらしい。
家が狭いので家族みんな同じ部屋で寝起きするわけだが、夜遅くまで電気をつけるとみんなが眠れないのだ。
四年制大学の受験に失敗して短大に進学した言い訳として母はそう主張していたが、それもあながち嘘ではないだろう。

彼女は短大在学中の授業料や生活費を全て奨学金で賄って、しかもそれを返したくないという理由で、返済免除を受けるために公務員になったのだ。
彼女の価値基準では、なりたい職業よりお金を稼ぐ職業より、お金のかからない職業が優先された。
根っからしみついた、彼女は貧乏性なんである。

貧乏性だが能天気で、悩みといえばいつまでも嫁に行かない娘のことくらいという、平和な母の姿を見るにつけ、私はかわいい人だと思う。
もちろん幸せにしてあげたいが、ひとまずはできる範囲で我慢して欲しい。

昨年の東京タワー来場者は一昨年に比べて随分多かったらしいが、それは当然、あのリリー・フランキーの小説「東京タワー オカンとボクと、時々オトン」の効果だろう。
多くの人から、すごい泣けるから読むべきと勧められ、1月、沖縄滞在中にそれを読んだ。

別に泣けはしなかった。

ただ、気づいたのは、私の視点が母を眺める子ではなく、息子を眺める母のそれになっていることだ。
かの小説を「偉大なるマザコン小説」と評している雑誌記事を読んだ。
なるほど確かにそのとおりで、あれは「本質的に全ての男はマザコンである」という慣用句のようなフレーズに従って、息子の視点に立つならば、大好きなお母さんへの想いで胸がいっぱいになってしまうしつらえである。
確かにそれなら泣けるだろう。

けれど、母の視点に立つならば、マザコンの息子をもつ幸せを疑似体験する小説とも言える。
多くの女性は、自分の夫や恋人がマザコンだと気持ち悪いとかウザいとか言うわけだが、こと自分に子どもができたら、当然だけれど愛される親になりたいと思うわけで、そのあたり実に自分本位と言わざるを得ない。

私について言えば、特にマザコンの男性が気持ち悪いと思ったことはない。
お母さんを大切にすることの、何が悪いのか、まったくどこにも答えが見つからない。
もちろん、程度というものはあるわけだが。

うちの弟たちは、あまり母に対してマメではない。
彼らが本質的にマザコンなのかは分からないが、あまりそれを表面には出さないタイプのように思う。
確かにキャラクター的に母性が弱い母親ではあるが、愛されたい願望はもちろんあるだろう。

次の日曜は母の日だ。
どうか男性にこそ、母の日、何か少しでもお母さんに素直な感謝なり愛を示して欲しいと、私は思う。
母はひとりのかわいい女性なのだ。

そしてそれは、どこか私が母になったときの願望のような気がしてならない。

東京タワー オカンとボクと、時々オトン(2005年・日)
著:リリー・フランキー
出版:扶桑社

■2006/5/12投稿の記事
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