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和解の鰻-うなぎ-

季節のものというのは、自然と体が欲するから可笑しい。
7月になると仕掛け時計みたいに鰻が食べたくなる。

まじまじと見れば不気味なかたちをしている、あの長くてぬるっとした生物は、擬人化すれば仙人のようにどうにも寡黙で思慮深い様子だが、味はご存知のとおり、他に類するもののない香ばしいふくよかさを持っている。
「ふくよか」、音からして幸せな響き。
見た目は決して好きではないが、私は鰻の味が好きだ。

今村昌平監督がカンヌでパルムドールを獲った邦画作品と言えば、役所広司主演の「うなぎ」。
主人公は、浮気をされたことに逆上して妻を刺し殺し、8年間の服役後に仮出所してきた男。
性格は生真面目で潔癖なところがある。
人を殺して刑に服したことよりも、最愛の妻に裏切られたことをいまだに傷に持つ彼は、久しぶりの娑婆で小さな理髪店を営みながらも、他者と距離を置いた生き方をしようとする。

無口な男は、ほとんど人と会話をしない。
彼は水槽で飼っているうなぎにだけ心を開く。

人によってコミュニケーションの仕方は異なるし、自我の範囲も異なる。
自分だけで解決すること、人の助けを必要とすること。
言葉にしたい人、したくない人。

うなぎとだけ暮らす主人公のもとに現れる、少し面影が妻に似た女性。
病気の母やヤクザめいた男との不倫や、厄介ごとを抱え込んだ彼女は、真面目で穏やかな主人公に惹かれ、健気にまた慎重に、彼の心に近づいていく。

できるだけ近くに行きたいと思って、歩み寄る。
体温が混じりけなく伝わるところまで。

あるときは、近づきすぎたと感じて後ずさる。
存在が気配程度に薄まるまで。

事前に物事やスタンスを学習できるならよいけれど、経験から学んでいくしかないことも多い。
失敗によってまた、新しく深く、大切なことと間違わない術を知るのだと思う。

また、一つ知った。
また、一つ近づいた。

天然のうなぎは遥か太平洋の南で卵を産み、そこで稚魚になって海原を旅し、日本の河川までたどり着いて泥に暮らすのだと言う。
それほどの長旅ができるほど、うなぎは精力的な生物には到底見えないが、実は案外とたくましい生涯を送っている。

鰻が食べたいと言ったのは数日前だったが、なぜかとても久しぶりに会った錯覚がする彼が「お昼は鰻にする?」と提案した。
その土曜日は暑い一日だった。
じりじりとした陽射しも強く、軒先で順番待ちする客たちは日陰を探して顔をしかめていた。
東京タワーの麓にある、野田岩という老舗のうなぎや。

「食べるの早くない?」

我に返ると、自分がすごく「一生懸命」食べていることに気がつく。
どういうわけか、鰻というのは、精一杯のスピードで食べなくてはならないもののような気がしてしまう。
たぶん、これは一種の癖だと思う。

丼物などのシンプルな素材でボリュームのある食事というのは、もたもた食べているとすぐ満腹になって飽きてしまう。
だから、一生懸命、早く食べなきゃという気持ちになる。

美味しさが逃げてしまうような気がするのだ。
美味しいものは美味しいうちに、食べきってしまいたい。

「美味しいからだね」
と簡単に結論づけて、ふたりともお腹いっぱいに鰻を食べる。

喧嘩をしていたというわけではないが、ここしばらくのことは何事もなかったように、鰻を食べる。
そして、笑う。


うなぎ(1997年・日)
監督:今村昌平
出演:役所広司、清水美砂、柄本明 他

■2006/7/26投稿の記事
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