花嫁の父、花婿の姉-花嫁のパパ-
もう半年も前のことになってしまうのだが、6月吉日、上の弟が結婚をした。
付き合い始めて1周年が結婚式という、なかなかのスピード婚だ。
弟は、ほんのちょっと前までは、20代のうちには結婚しないと言い切っていたのに、実際には、30歳の誕生日に2ヶ月ばかり早かった。
順序における姉への遠慮は一切なかったが、それはむしろありがたいことで、「弟よ、おめでとう」と素直に思う。
式の前日に実家に帰り、当日、美容院の予約の都合で両親たちよりも早い時刻に、同じく支度のある弟が車でホテルまで乗せていってくれた。
弟とゆっくり話すなんていうことは、近年ほとんどないので、それは不思議なシチュエーションに思えた。
幼かった彼を知るだけに、こいつが結婚するのかと思うと、まったく想像を超えている。
車中、意外と、結婚や結婚式の話は出なかった。
なぜまた彼がこの度結婚を決心したのだとか、今何を感じていてこれからどうしたいと思っているのかとか、そのへんのことはよく分からない。
そしてまた、特にそれを尋ねない。
まあ、決めたんだから何かしら考えたんだろうし、これまでとは違う何かもあったんだろう。
いい大人なんだから、それなりになんとかやるんだろう。
花婿の姉、あるいは花婿側の親族などというのは、大体そのくらいのスタンスである。
それなりの感慨はあるが、感傷もなければ、ものすごい感激があるわけでもない。
まあ、うまいことやってよ、くらいの。
この結婚式において、親戚連中の注目は、むしろ私に集中していた。
すんなり決まった弟の結婚より、従姉妹の中で最も年長である私の身の振りようの方が、両親にしろ、叔父にしろ叔母にしろ、ずっとずっと重大事だ。
「yukoちゃんも、いい人いるんでしょ?いつ花嫁姿が見られるのかしら?」
「早くしないと時期を逃すぞ」
「理想が高すぎるんじゃない?結婚には妥協も必要よ」
「yukoちゃんの結婚式で東京に行くのがおばちゃんの楽しみ」
「大丈夫。yukoは見た目が若いから。まだ全然いける」
挑発から鎌かけから脅し、フォローまで、
ある程度、覚悟はしていたが、この集中砲火。
弟の話題より、完全に私の話題の方が多い。
冗談めいた言葉の裏に潜んだ心配や憐れみに気づかないふりをしながら、私は、それを、にこやかに右から左へ受け流す。
美容院の予約時刻はかなり早かったが、親戚たちと少しでも別行動ができて、私は内心ほっとしていた。
弟はさすがに、冗談でも私にそんなツッコミはしない。
お互いに、「結婚」なんていうナイーブなテーマを迂回しながら、したのは仕事と景気の話、それから父の還暦の祝いをどうするかという相談に終始した。
式場は、奇しくも、その二週間前、藤原紀香と陣内智則が披露宴を開いたホテル、の隣に立つホテルだった。
館内にある美容院の入口まで行くと、そこで弟が急に改まった様子で「おはようございます」としゃしゃり出て、そう声をかける先には初老の夫婦が佇んでいた。
私にとっては初対面だったが、なるほど、新婦の両親である。
そこで初めて、弟の対外的な「大人の顔」を見る。
弟は、私を「姉です」と紹介し、私はご両親に「この度はどうも」と語尾を濁しながら頭を下げる。
親族どうしで「おめでとうございます」と言うのはおかしいよねえと思案しつつ。
ご両親もこちらに頭を下げて、互いに「お天気が良くてよろしかったですね」といったようなことを二言三言交わした後、会話が途切れる。
弟は支度があるからとその場からいなくなって、いったい何を話せばよいか分からなくかったが、ほどなく美容師さんから順番を呼ばれて、正直救われたという想いで「お先に」と奥へ進んだ。
私は洋装だったので、メイクとヘアセットだけで支度が終わり、早々と開放された。
少し離れた場所では新婦のお母様が和装用に髪を結い始めており、その後も着付がある模様だった。
そんなわけで私のほうがだいぶ先に美容院を出て、両親をはじめ親戚連中が到着するまでには随分時間があったが、やることもないので、親族控え室へと向かうことにした。
控え室には、私ひとりだけだろうと思ったら、そこには先客がいた。
先ほど軽く挨拶をした、花嫁のお父様だ。
状況的に言って、ここはまあ、会話をするしかない。
花嫁の父と花婿の姉、身内が結婚をするという点を除いて、まるで共通点はないのだけれど、お互い一生懸命話題を探す。
「東京にお住まいだそうで」
「ええ。昨日、戻ってきまして」
「私も以前に、仕事でしばらく東京に単身赴任をね、していたことがありまして」
「そうですか。東京はどちらの方に」
「調布の方です」
「そうですか。ご家族はご一緒でなかったんですか」
「ええ、娘はどこにも行ったことがなくて。地元を離れたことがないんですよ」
黒い燕尾服を着こんだ顔色は、緊張を通り越して、意気消沈しているようにも見える。
母や弟から聞かされていたが、花嫁は大層な箱入り娘だそうだった。
地元の短大を出て、地元のデパートで受付嬢をしていて、実家を出たことはない。
年齢もまだ24歳で、両親と兄に大切に大切にされて、求めれば何でも与えられてきたお嬢さん育ちだった。
親はできるだけ彼女に苦労をさせまいとし、できるだけ手近なところに置いておきたいと思っていた。
私は一度しか会ったことがないのだが、そのときの印象からしても、確かに花嫁は、とてもかわいらしく繊細で、にっこりとした笑顔に愛嬌があり、話し方や立ち居振る舞いにはおっとりとした雰囲気があった。
弟は彼女のことが可愛くてしかたがないらしく、家族に向かって話すのとはまるで違う調子の、優しくゆっくりとした口調で、彼女に対して語りかけ、彼女の方は、将来の夫を尊敬して止まないというふうに瞳を輝かせながら大きくうなづいては、弟の言葉に一心に聞き入っているのだった。
なるほど彼女は、愛される才能に十分長けている。
そんな娘を持った父親が、24年目にして娘を手放すのだ。
話によれば、今回の結婚について、反対まではしなかったものの、彼女の両親は諸手をあげて喜ぶというトーンでもなかったらしい。
その時期が想像した以上に早かったというのもあるだろうが、もしかしたら、それがあと数年遅かったとしても、同様に親はショックを受けていたかもしれない。
「娘さんがお嫁に行かれたら、寂しくなりますね」
その娘さんをもらってしまう男の姉という立場でありながら、私はのうのうとそう言った。
このコメントに対する切り返しとして、本心はともかく立場的に「いやあ、ほっとしてます」とか「嫁に行くと言っても、近所ですから」とかいった答えが返ってくると予想した。
ところが、お父様の反応は違っていた。
「そうなんです。今日から家に帰ってこないかと思うとね、寂しくて寂しくて。今朝は、4時に目が覚めてしまって、ちっとも寝つけませんでした」
消沈した心内を隠すこともなく、あまりに率直な言葉が返ってきたので、正直私は面食らった。
このお父様は、体裁を考える余裕もないほど、心底、落ち込んでしまっているらしい。
お父様からしたら、娘を自分から奪っていく花婿の身内は、私も含めて、きっと敵に見えているのだろう。
なんだか申し訳なくなって、思わず「すみません」と言いそうになったが、それを言うと、元も子もない感じがするので沈黙で返すしかなかった。
「すみません」と言って笑い話にするには、雰囲気が重過ぎる気がした。
花嫁の父とは、げに落ち込んでしまうものなのか。
その後も、距離感を測りつつ当たり障りのない世間話を多少して、そのうちにようやく両家の親戚たちが到着した。
彼らは一様に、ヘラヘラと笑いあって、気楽な感じである。
ただ花嫁の父だけが、この世の終わりのような顔をしている。
ホテルの教会で行われた挙式では、花嫁と父が腕を組んで登場するはずのバージンロードを、新郎新婦が最初から腕を組んで登場してきた。
どうやら、お父様がそれを断ったらしい。
花婿は他のどんな式でも聞いたことがないほど大きく通る声で「はい、誓います」という宣言をし、花嫁は他のどんな式でも聞いてことがないほど小さくか細い声で「はい、誓います」と宣言した。
私は、その対比に、思わずクスリと笑った。
そして、その式の間じゅう、私から左斜め前の方向に座ったお父様の視線は、ずっと下を向いていて、一度たりとも娘を見ることがなかった。
披露宴のクライマックスは、いつでも、花嫁が読む「両親への手紙」だが、もちろんこれは大号泣だった。
花嫁も泣いていたし、花嫁の家族は、兄も含めて、憚ることなく泣いていた。
手紙の内容は、いつも優しく温かく見守ってくれて、どんなときも一緒にいた父と母と兄に対する、思い出と感謝の告白だった。
ありふれているかもしれないが、ありふれているからこそ、誰もの心を打つ言葉で、列席者皆がもらい泣きする良い手紙だった。
横にいた叔母が、私の耳元で「yukottoちゃんがお嫁に行くときは、お父さん、ああなるねんで」と囁いた。
そんなもんだろうかと思って父の顔を見たら、神妙ながらも情に流された様子はなく、どちらかというと、この後に控える「新郎の父による挨拶」の方に意識を取られているようだった。
ただし、同じく嫁入り前の娘のいる叔父たちの顔は、酒のせいばかりでなく赤らんで、瞳には光るものがにじんでいるように見えた。
今や、彼らの耳には、花嫁が読む手紙は、我が娘の自らに向けたメッセージのように響いているようだった。
コメディ映画「花嫁のパパ」でも、父親にとって娘の結婚は喜びよりも悲しみと怒りの方が先に立つ。
特に、アメリカでは新婦の両親が結婚式を主催するらしく、この怒りの原因たる存在のために、大枚をはたいて仰々しい式を開かなければならない理不尽さにさらに怒りを募らせる父の姿が面白い。
どこの家庭にも起こりそうな「一大事件」を、微笑ましく温かく切り取ったこの作品には、誰もが共感できるだろう。
然るべきとき、私の父がどうなってしまうのか分からないが、たぶん、彼は「せいせいするわ」くらいの強がりを言うだろう。
本音は別にして、そういうタイプの人だ。
だけど、お嫁に行ったって、お父さん、私はお父さんの娘ですから。
花嫁のパパ Father of the Bride(1992年・米)
監督:チャールズ・シャイアー
出演:スティーヴ・マーティン、ダイアン・キートン、キンバリー・ウィリアムズ他
■2007/12/12投稿の記事
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