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○○な子に育てるには?」「何歳までに○○しないと間に合わない」を中心に親子時間を使うのはもったいないという話②


まずは、内田樹著『街場の教育論』
からの引用をここに。

教育は「キーを押してから文字が
表示されるまで長い時間」がかかる
システムだということです。

それどころではありません。
正直に言うと、「差し出したものと
別のかたちのものが、別の時間に、
別のところにもどってくる」
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この箇所を最初に読んだとき、
私は小学生と幼児育児真っ最中だった。
(食べない、寝ない、起きない等
ないない三昧の時期だ。)

Aのキーを打っても
Aと表示され「ない」
という内田氏の描写に、
圧倒的な浪漫を感じた。
そして、子育てにもこの浪漫を
まとわせた方がよい気がするし、
そうとらえることで、日々の
張り詰めた気持ちが幾分楽になるかも
しれないと思った。

予測できない。
結果がすぐわからない。
正解はない。

この「ない」に有る未知の力は、
時空を越えて流れ星みたいに
突然現れたりする。

最近、この流れ星がたびたび交差する。

我が子のみならず、
生徒、元生徒、友人たちが
あちこちで星の光を放つのを
目の当たりにしている。

ベタな言い方だが、
彼らの放つ光に私は勇気をもらい、
心をぐいぐいと動かされる。

いついつまでにとか、
何歳までにとか、
区切って物事をとらえるのは
本当にもったいない。
それが習慣化されたら、
整わないタイムスケジュール
に翻弄され、人生100年は
苦行になってしまう。

自分が押したキーの行方、
押された自分のキーの行方を
妄想と共に時間をかけて想像する
人生が、なんとも複雑で、かつ
面白いと思っている。

最後に、『待場の教育論』の
一番好きな箇所を。

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それは教育の本質が「こことは違う場所、
こことは違う時間の流れ、ここに
いるのとは違う人たち」との回路を
穿つことにあるからです。
「外部」との通路を開くことらだからです。
























 







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