水にしがみつく |水脈と地平 山と街の往復書簡
我が家は上水道を通していない。裏山から数百メートルのパイプを通して山水を引いているのだが、我が家の生命線はまさにこの山水である。裏山に山水を貯めた水槽があって、そこから水が二手に分かれる。家で使う水と池に流す水のふたつの道があって、この夏は雨が少なく、池に流れる水がうんと少なくなってしまい、池の酸素濃度が下がった。それで池で飼っていた鯉のうち数匹が死んでしまった。そこで夫と二人、裏山へ水の様子を確かめに鍬を持って出かけた。沢から水を引いているので、定期的に水の取り入れ口を見に行って管理する必要があるのだ。もっと早く水を見に行っていれば、あの黒々とした立派な鯉は死ななくてもよかったのかもしれないと思うと、いっときの山登りのしんどさと水を天秤にかけて、しんどさを選んでしまった自分が嫌になった。今年は雨が少ない上にこの山あいにあっても、とても暑かった。
我が家の裏山をつづら折りに登っていくにつれ、森の中に入るとひんやりと涼しくなる。こんなに涼しいと知っていれば、もっと早く来たのに。山道の傍らに、花弁を落とした野生の紫陽花、椿の木、大きな葉の朴の木が交わり立っている。倒木と叢を分け入ってしばらく登ると沢水からの水をいったん貯めている木で出来たちいさなタンクがある。ここでいったん沢水を粗く濾過しているのだが、ここに葉っぱなどのごみが貯まっていた。これをまず掃除する。すると、ごみのなかになにか動くものがある。鋭利な足がみえた。これは沢蟹だった。もうひとつ、体をぬめらせたちいさな生き物がいる。手に載せてみると、おたまじゃくしのようだ。
サンショウウオだ・・・
ふたりでわたしの手のひらを必死に泳ごうとしているサンショウウオの幼生をみる。一度姿に気が付くと、水のながれのなかにあっちにもこっちにもサンショウウオがいた。
沢の水の取り入れ口はごみが詰まっているし水位が低くなっていてうまく水を引けていないようだった。これでは我が家に来る水が少なくなるはずだ。少し沢を掘って水位を深め、石を積んでダムのようにし堰き止めた。掘って濁った水がしばらくして落ち着いて、透明になる。水底にいるのは、またサンショウウオだった。指さきでつつくと、ひょいと逃げて石の下へ。水の中にいると幼生のえらがひらいて、まるでエリマキトカゲのようなのだった。
わたしたち、サンショウウオの泳ぐ水を飲むのだね…
沢の上にはまだ険しい山が続いており、岩を打って水のしぶきが飛んでいる。源頭はどこなのだろう。
以前、関東に暮らしていたときに、多摩川の水干、つまりそれより先に沢がない水が滴る一滴目を見に行こうという話があり、仲間と山梨県の山奥まで行ったことがあった。東京から138キロ。多摩川の支流の支流の支流、といったところだ。塩山駅を降りて、丸一日かけて山道をいき、峠を少し下ったところに水干はあった。山の斜面から岩が露出しており、岩の先端から水がぽたりぽたりと落ちている。山は木々があるおかげで水を貯蔵する。スポンジのように吸い込んだ水のうちの一部がこのようにしみ出してくるのだった。その姿はちっともドラマチックではなく、雨に濡れた岩の様子とさして変わらない。しかしこのようななんでもない岩間の一滴が、この山に無数に存在し、沢になり川になり、やがて東京湾に注いでいくのだった。
わたしが小さい頃、木こりだった祖父はわたしを山には連れて行ってくれなかった。山は子どもには危険だからというのである。そのおかげでわたしは沢の存在や手入れのしかた、山菜の採り場なんかを知らないままで、祖父や祖母を失ってしまった。
年配のひとたちがふらりと山に入ってかごたっぷりに採ってきたゼンマイやコシアブラなんかは、いったい我が家の裏山のどのへんに存在していたのだろう。短い時間で採取される山菜採りは魔法のようだった。祖父がいなくなり、手入れや伐採が出来なくなってしまった我が家の裏山は、杉や檜の木がすっかり大きく伸びて、暗い森になった。山菜が生えるような草場は無くなってしまったのかもしれなかった。
先日、関東でセキュリティのエンジニアとして働いている兄が帰省してきた。ほとんどリモートで働いて、週一回だけ東京の会社に出勤するのだという。四六時中パソコンとにらめっこしている仕事だ。給料はいいけれど、こういうのは仕事じゃないんだよな、と兄が言った。宙に浮いている仕事なんだ、人間がつくった虚構のなかで、バグがあるとか、無いとか。それは一体なんなんだ。あるようでない仕事なんだ。人間は、からだ使ってはたらくのがいちばんだ。兄は虚空に向かって言い聞かせるように言った。それは、きっと山で木を伐ってわたしたちを養った祖父や、筵(むしろ)の上で豆を選別している祖母たち、岩だらけの土地を文字通り手で開拓してきた、もっともっと前の代の先祖たちの霊が、わたしたちにはみえているからだと思う。
夫とこうして山に登って沢の手入れをしていると、たまに滑稽に感じることがある。上水道の普及率がほぼ100パーセントの現代の日本において、山水だけで暮らしているというのは、意地のようなものだ。上水道を引いたほうが、確実に楽である。山水は台風の後の日なんか、濁っていて飲めないし、冬は降水量が減り、洗濯をするのも一苦労である。なんの意地なのか、わからない。わたしたちが日本において…いや世界で、かもしれない…山水で暮らす最後の山の民なのだろう、とぼんやりと思っている。その考えの成分の多くは誇りではない。ただ、辞めることができないだけだ。わたしたちはサンショウウオが飲んで吐いた水を飲んで暮らしている。この暮らしをなぜかわたしは硬く握りしめているだけだ。
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