見出し画像

Tedeschi Trucks Bandを見た!

去年念願のテデスキ・トラックス・バンドのライブをみることができた。

ここ数年は毎週ライブハウスでバンドを見る生活が続いている。たぶん今が人生で一番ライブを見ているはずだ。
これだけステージの演奏を日常的に見続けるとなにが良くて、何がダメなのかもそれなりにわかるようになる。
けれど、昨年のテデスキ・トラックス・バンドのライブは全く意味が違った。

スーザンのボーカルはまるで女スプリングスティーン、12人編成のバンドは一人として無駄な音がなくデレクのギターは言葉にできなかった。

強烈な音楽体験はいつでも自分自身のとの深い対話を促してくれる、それはパーティーでもライブでも一緒だ。俺は90年代半ばから20年以上踊りつつけ、その中のいくつかの体験やフジロックで見た想像を越すようなステージがそうだったように昨日も自分の精神というか思考を更新されるような体験だった。

そこにはイギリスの音楽とアメリカの音楽の違いがあるのだが、それはいつか文章にしようと思う。とにかく、昨日の彼らのステージから感じたことは、この60年代のアメリカが生み出したスタイルは90年代のイギリスが生み出したパーティーとほんとによく似てる。いや、すごい音楽体験はどんなものであれそういうものかもしれない、が、俺個人の体験としてならばそういわざるを得ない。

昨日のテデスキ・トラックス・バンドの演奏は明確になにかを伝えようとするのではなく、演奏が生み出すなにかを出現させるためにやっていたんだと思う。とくにデレク・トラックスはギターを弾くことの理由すらも意識せずに演奏していたんではないだろうか。12人編成のバンドがそれぞれに役割を全霊で果たしながら、しかもけっして力むことなく慎重に流れを作りながら、自分たちの演奏をなにかに委ね、捧げる。それはオーディエンスであるかもしれないし、言葉にできないなにかかもしれない。
もう演奏の上手い下手という問題でなく、彼が演奏する理由はなにかに捧げ、またそれを受け取ったオーディエンスから彼らがなにかを受け取っている。

このライブを見て思ったのは、60年代にグレイトフル・デッドやオールマン・ブラザーズ、ザ・バンドが作り上げたこのスタイルがその子供の世代によっていまも受け継がれていることにははっきりとした理由があるということだ。アメリカの日常はほんとに厳しいだろう、そうでなければこういう音楽は必要とされない。

ステージでギターがうなりをあげる中俺はそんなことを考えていた、これはまたいずれ落ち着いて文章にしようと思う。
今日言いたいのは、もう4~5年も小さなライブハウスで毎週ライブを見ながら思っていた、もしかしたら日本の音楽のレベルもこの20年でかなりのところまできてるのではないか、ということだ。

フロアでそれを受け止めるオーディエンスの数は少ないけれど、身近なところで言えば去年の『headlights』リリース以降のsugar plant、アルバムのレコーディング直前からのNOT WONKやここ数年のdip、そしてGEZANや踊ってばかりの国はなにか特別なものがステージから浮かび上がるような瞬間がある。
そんなことを思うほどテデスキ・トラックス・バンドのステージ俺の思考をドライブさせてくれた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?