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\合理的配慮とワガママの違い/

「合理的配慮」という言葉。聞いたことありますか?


私も正式に文書として確認したのは、長男が高校に進学するタイミングでした。内閣府や文部科学省のHPにもわかりやすく説明されています。

「合理的配慮」とは

合理的配慮とは、障がいのある人からの要請に従って、社会のなかの「障壁」を変更したり調整したりする取り組みのことです。ここでいう「障壁」とは、障がいのある人が日常生活を営むうえで妨げとなる事物・制度・慣行・観念などを指します。

ただし、配慮する側があまりにも負担が重いと感じる状況は望ましくありません。配慮の対象となる人の範囲や特性を理解しつつ、できることから取り組むのが重要です。

引用:寺小屋朝日
合理的配慮の提供とは

現状、目に見えにくい障害がある息子が配慮を受けるには、まずは、自らが障害をオープンにし、「○○に苦手があるのでサポートをお願いします」と依頼するところからのスタート。
まだ慣れない環境だと、かなりハードルがあがってしまうが、そのために準備をし、こちらからお願いをして、理解を深めてもらうためのアクションをしていかなくてはならない。
息子が空気を読むのが難しいように、特徴がある息子を周りに理解してもらうのも難しい。
いつも、ずっと難しかった。

違いを間違いと感じさせてしまうのは、息子にも課題がある。ただ、必要なサポートをうまく受けられるまでには、何度も心が折れたり、痛みを伴う…
「何を困っているか?分かりにくい」
「それは、他の生徒からワガママと受け取られる」
「配慮する側も負担なことはできませんよ」
配慮を依頼することで、ワガママと感じられるなら、配慮はいらないかもね。
チャレンジしない方がいいかもね。と…
いつも、こんなやり取りの繰り返しだけれど、
それでも、学びたい!という気持ちが、またよみがえってくるところが、彼の良さであり、母の原動力になってしまう。
失敗しながら、またできるところから、答えを探していこう♪