思い出のマーニー

 今日はもちろん「思い出のマーニー」のお話をしたいと思います。この映画、劇場で観たのですが同時期に上映していたギャレス・エドワーズ監督の「ゴジラ」を観終わって、まだ時間があるなーと思っていたら、ちょうど上映時間が合っていたのでついでに観たのでした。

 結論から言いますと、非常に素晴らしい映画でした。ジブリうんぬんということを抜きにしても、心を閉ざした杏奈という少女の成長物語として小品ながら、実に丁寧に作られた良作でした。後半は随所で涙してしまったことを告白します。ただし悪いところがないわけではなくて、いいところと悪いところが混在しているのですが、いいところがあまりに心地よいので、悪いところには目をつぶりたい気持ちです。私は映画評論家ではないのでそういう態度で映画を観ることができて本当に良かったと思います。

 さてネタバレ全開で書いていきますので、未見の方はそろそろ読むのを止めてくださいね。小学校高学年くらいの杏奈は人見知りが激しいのか人の輪に入れず(本人は魔法の輪と表現している)孤立して、ぜんそくの持病も持っています。養母は杏奈の療養のために田舎の親戚のところに預けることにします。そして親戚夫婦はあまり小さなことにはこだわらなそうなおおざっぱな人たちで、いい人なんですけど杏奈とはあまりに違っていて、この問題の解決には役に立たなそうな感じがしてむしろ不安しかありません。

 杏奈は表面上は大人しく素直そうな人間を演じていますので、まあ七夕祭りにいってらっしゃいみたいに付き合いを強要されて、もうこの辺は本当ハラハラするんですけど、やっぱり田舎特有のと言いますか、この年ごろだったら当たり前の馴れ馴れしさに順応できず、のぶ子ちゃんでしたっけ、ちょっと太目の女の子に「太っちょ豚」と暴言を吐いてしまいます。

 実はこののぶ子ちゃんも悪い子ではなく、杏奈の暴言に対し、自分も言いたいことを言って「はいこれでチャラにしましょ」と手打ちにしてくれるのですが、杏奈はそれをも拒否して逃げ出すのでした。このように口喧嘩をした挙げ句仲直りして友達になるというのは、むしろ杏奈が問題を克服していくノーマルな道筋だと思えて、本当だったらいい方向へ進んでいく筈なんですが、それを拒否して湿地帯のあたりまで走ってくると、幻想的な洋館を見つけ、ボートを濃いでそちらに向かってしまいます。で、予告等で見た通り、ここでマーニーと出会うわけですが、このマーニーが幻想なのか妄想なのか、まあこの世の者でない存在じゃないかというのは、こっちは薄々気付いてるわけじゃないですか。出会うときの演出もそんな感じですし。だから現実に対応していくことに背を向けて空想の世界に逃避するような、さらにその交流が映画の売りみたいになってることも知っているわけで、なんか言いようのないサスペンスを感じました。

 さてマーニーと出会って二人は打ち解けて、秘密を打ち明けあったりして交流を深めるのですが、二人だけの秘密と言っておいて杏奈をパーティーに出させるとかどういうこととも思いましたが、マーニーが可愛いのでまあいいです。この辺りはもうちょっとワクワクしたかったのですが、なんか段取りっぽい展開が多くて、映画の中の二人ほどにはこちらは楽しくなかったというのが正直なところです。

 それでも単調になるかと思えたギリギリのところで、杏奈が自分のことを告白する「私もらいっ子だったの」というセリフからはなかなか引き込まれますし、養母が自治体から助成金をもらっていることに対する嫌悪感と言いますか、頭では分かっているけど割り切れないみたいな、そしてそんなことを感じる自分が嫌いみたいな心情を吐露するにいたっては、このようなファンタジー世界にそぐわぬ要素をよく入れたなとちょっと感心しました。彼女が心を閉ざす原因は両親とその後で引き取られた祖母の死によって自分が置いてけぼりにされたことに対する許せないという思いがあるからで、それだったらグレるだけでいいのですがそんなことを思う自分がいけないのだと思うほどにはいい子なので自己嫌悪に陥ってしまっているということなのです。

 そんな告白に対してマーニーの方もいじめられてることやサイロに連れて行かれそうになって怖かった体験などを話し、杏奈はそのトラウマを解いてあげようとしたのか、怖くないから今からサイロに行こうとマーニーを誘います。男前ですね。しかし大雨が降り、サイロに閉じ込められたところでマーニーは錯乱し、杏奈のことをカズヒコとまで人違いをする始末。杏奈はマーニーの肩を抱いていつの間にか眠るのですが、目覚めた時には一人きりで、マーニーに置いてけぼりにされたと思い込みます。

 もう真相を明かしますが、マーニーというのは昔この洋館に住んでいた祖母なんです。それは勘のいい人ならけっこう分かると思います。杏奈の瞳の色や、祖母が杏奈を寝かしつける子守唄(これがマーニーと踊っているときに歌っていた曲)、小さい頃の杏奈が持っていた人形など、手がかりはいっぱいあります。杏奈は幼い頃の祖母から聞いた話を蘇らせ、この洋館でマーニーという存在を作り上げたのでした。しかし杏奈の空想だけとも言い切れなくて、祖母の思いもちゃんと併せ持っていると言いますか、自分を独りぼっちにした両親や祖母を許せないという杏奈の想いを解消するために、サイロに置き去りにしたマーニーに向かって許すと言わせることで、そしてその返事を聞いてホッとしたことでマーニーは安心して姿を消すのです。もっと簡単に言うと誰にも愛されていないと思っている杏奈に対して、確かに愛されている(いた)と教えるために、「大好きだ」と言いにきたわけです。

 それでマーニーが姿を消すのですが、洋館は改装工事されていき、新しく越してきたさやかという少女は、窓から杏奈を見て、マーニーでしょと呼びかけるのでした。さすがにマーニーと呼ばれたら気になるので、部屋にお邪魔して二人はいろいろ話すのですが、「あなたがマーニーでしょ?」と言われた杏奈が「マーニーは私の空想の友達よ」と答えるところでちょっと度肝を抜かれてしまいました。いやもちろん誰も住んでない洋館でパーティーなどあるわけありませんし、現実とは思っていなかったでしょうが、こうもあっさり第三者に「空想です」と認めてしまうほど自分を客観視していたのかと、地味に驚きました。

 まあ後はなんだかんだで謎解きですが、最後の最後でマーニーはおばあちゃんだったと明かしてサプライズにしているのですが、ここで私も驚きたかったんですが、やはり予告である程度予想がつきすぎてしまうのと、手がかりを多く見せすぎてしまっているため、1度目の謎解き(久子の告白)でほとんどの人は気付くのではないかと思います。というか1度目の謎解きで最後の真相まで明らかにしなかったことが逆に不思議でした。

 いつもの通りかなり理屈っぽく書いてしまいましたが、本当はこんなに理屈っぽい映画ではなくてまず情感に訴えかける映画になっています。だから好きになってしまえば、逆に辻褄の合わないところも気にならなくなると思います。とにかく養母が迎えにきて、振り返った杏奈の表情でいろいろ吹っ切れたことが分かるところや、さやかがお見舞いを後ろに手をのばして渡すところで両脚をピンと伸ばすところの細かい描写とか、そういうところでアニメっていいなあと思いました。非常に閉塞感のある始まり方をして、エンディングは開放感があるというか、これからの時間や世界に向けて開かれた感じで終わるので、いい気分で見終わることができるでしょう。誰にでもオススメできるというわけではないのですが、自分だけの宝物にして大事にしまっておきたいと思えるような映画でした。


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