一番美しく

 今日は黒澤明監督の「一番美しく」の感想を書きたいと思います。この映画を観たのは十数年前、衛星放送で黒澤監督の特集をしていた時だったと思います。当時の私は黒澤映画ならなんでも観てやろうと思っていたので、特別期待せずに観ました。これは1944年に作られた戦意高揚映画というか、まあ国策映画なのですが、実に出来のいい映画なのです。素直に感動でき、その上で映画的テクニックも冴えています。

 お話はレンズを磨く工場の女工さんたちの働きぶりを描くもので、当時レンズと言えば、望遠鏡、潜望鏡、照準器など、精密機械に搭載され、この精度一つで戦局を左右すると言っても過言ではないものでした。そんなわけでレンズ工場では曇り一つない精度の高いレンズを作ることが使命だったわけです。そんな工場で、女工さんたちが自分たちの待遇に不満があるというのです。労働時間が長いことに対する不満かと思えば、男に比べて労働時間が短いことが不満なのです。これは不平等だ、私たちもお国のために戦いたい、という主張です。素晴しいポリティカルコレクトネスな展開です。いや皮肉でも何でもなく。

 そんなわけで過酷な労働に従事する彼女らですが、実はこれ、実際の工場へ行って、本物の女工さんたちの働きぶりを撮影しています。黒澤監督自身はセミドキュメンタリーだと言っていますが、当時の貴重な記録なのです。冒頭の朝礼のシーンなどは、たぶん全員本物です。このシーンのおかげで映画全体がえらくリアルに見えます。しかしリアリズムだけではありません。何十人という女工さんたちが、部屋の中でひしめいている映像は、まるでフリッツ・ラングの映画のような、そうドイツ表現主義のような絵作りになっています。いや私もよく分からないんですけど、コントラストのつけ方とかがかなり大胆です。

 そして映画はクライマックスの、チェック洩れのレンズが紛れ込んだのを、大量のレンズの中から探すくだりへと突入します。このチェック洩れが判明する時の回想シーンが今見ても斬新です。なぜこのような映画にミステリ映画まがいの映像トリックを使うのか、まるで分からないのですが、とにかくカッコいいです。ついに主人公の女性が、夜通しの作業の末、レンズを発見した時には何やら崇高なものすら感じさせます。

 この映画の背景、というか舞台そのものが、学徒動員であり、女子挺身隊という、無賃金で過酷な労働を強いられた、戦時下の異常な状況であったことは否定できません。そしてそのような時代では集団として国のために尽くすことが美徳であり、それ以外の描き方をするようなことは許されませんでした。いかな黒澤と言えど、その時代の流れに逆らうことはできず、また逆らう必要を感じたかどうかも分からないのですが、それでもこの映画の最後の最後、主人公が流す涙には、反戦の願いが込められていたのではないか、と私は思うのです。それともこれは深読みのしすぎでしょうか。

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