コンタクト

 故カール・セーガン博士の原作をもとにした壮大なSF大作「コンタクト」について今回は書いてみたいと思います。SFと言っても現代を舞台にしたリアルな考証に基づいたお話です。もし人類が知的生命体とコンタクトしたならば、という仮定を描いたお話です。

 カール・セーガンと言えば昔やってました「COSMOS」という科学番組でお馴染みですが、私もよく見ていました。大好きでした。そんなわけで私の大好きなカール・セーガン原作、ロバート・ゼメキス監督、ジョディ・フォスター主演となれば、観ないわけには行きません。劇場で観て感動して3回くらい観たでしょうか。私にとってはほぼ文句をつけるところがない映画です。ちょっと長いですが、飽きるということはありません。ジョディ扮する科学者の半生を描くには必要な長さだと思います。

 まず冒頭から度肝を抜かれます。宇宙に浮かぶ地球がどんどん遠ざかり、カメラは太陽系を出て、銀河系を出て、という宇宙の広大さを表すワンカットのシークエンスが凄いです。その宇宙は最後にエリーという少女の瞳に集約されます。エリーは少女時代から宇宙と交信することを夢見て、お父さんの教えの通り、無線などやったりして育ってきました。そして大人になったジョディ扮するエリーは、地球外生命体からの通信を傍受するプロジェクトに関わっています。この辺ていねいに描いていていいんですが、タルいと思う人もいるかもしれません。私は宇宙とかが好きなので興味深く見れました。

 政治的な問題もあったりで、なんだかんだの末、ある金持ちの実業家から資金をもらい、充実した設備で研究していたところ、本当に地球外からの通信が入ります。そりゃもう地球は大騒ぎで、その通信を解読し、それが輸送システムだと分かると、また実業家の力を借りてそのシステムを完成させ、それによってエリーは宇宙へと旅立つのでした、って要約するとシリアスなSFのはずなのに、結構荒唐無稽に聞こえますね。観ている間は現実的に思えるのですが。

 とにかくいろいろな面白さがつまっています。人類は孤独ではない的なメッセージがもちろんテーマなのでしょうが、感動だけを狙った演出にとどまらず、最初に宇宙からのメッセージを受信するところはもの凄く盛り上がりますし、一機目の輸送システムがぶっ壊れるシーンのスペクタクルも大迫力です。さらに絶望したエリーに例の実業家が、輸送システムはもう一台あるぞ、と呼びかけるシーン。そしてそれが日本の北海道にあると分かるシーンなど、ちょっと笑ってしまうくらいの盛り上がりぶりです。ゼメキス監督は本当に娯楽映画のツボというのが分かってますね。

 さらにエリーがパイロットとして適任かどうか争われる場では、信仰と科学についての問題が取り上げられ、考えさせられます。これだけの娯楽的要素を盛り込みながら、ちゃんと考えさせるテーマも入っているこのバランス感覚は素晴らしいと思います。さらにロマンスもあれば、いよいよ宇宙へと旅立つ瞬間の感慨深さ、そして実際の宇宙旅行中の息をもつかせぬサスペンスと、どこまでこの映画は盛りだくさんなのかと思ってしまいます。極めつけは、これ以上ないくらい美しく描かれた宇宙の描写でしょうか。その光景に心を奪われて語り続けるエリーも美しいです。ただ、ここで一瞬モーフィングによってエリーの顔が少女時代の顔に戻るのですが、これはちょっとやりすぎな演出だと思いました。

 そして彼女はかつて幼い頃に描いた絵と同じ場所にたどり着きます。インナースペースということなのでしょうか。ちょっとどうにでも解釈できるような展開、というかまあSFにはありがちな展開ではありますが、そこでエリーは死んだ父親に再会するのでした。ここで私はフライング気味にちょっと泣いてしまいました。その父親は、まあ彼女の記憶の中からデータをとって、宇宙人が仮の姿で現れただけでした。ここで禅問答のような会話をして、エリーは地球に戻ってきます。

 しかし、彼女が宇宙に旅していたという時間は、地球上の時間にしてほんの一瞬であり、宇宙人とコンタクトしたという彼女の主張は、皆に受け入れてもらえないのでありました。この辺の皮肉な感じは、中盤までにおいてエリーが証拠至上主義のガチガチの科学者であることと相まって実にサスペンスフルです。しかし映画もここに至ると、その長さから観る方もちょっと疲れてきます。観るのにスタミナのいる映画なのです。結局一緒に持って行った記録用のテープが十何時間も回っているということで、彼女の証言も信憑性があるのでは? と匂わせて、フォローしているのですが、これって原作にもあるのでしょうか。結局それでは証拠がないと信じられないという、それまでのエリーと同じことでしかないと思うんですけどね。救済措置のつもりが映画そのものの主張を薄めてしまっているような気がします。

 宇宙人はなぜエリーだけを招待して、証拠も持たせず帰らせたのでしょうか。本人はテストじゃないと言っていましたが、明らかに人類を試しています。私なりの解釈では、何の証拠もなく、エリーの証言のみを人類が信じることができるのなら、つまりそれだけお互いに対する信頼性を持つほど成熟した種族であるなら、彼らの待つあの場所へ、みんなで行ける日も来るのではないだろうか、と思うのです。それだけにテープの証拠は余計だったかなと思ったわけです。

 なんだかこの映画には思い入れが多いので、長くなってしまいました。全く言及できませんでしたけど、マシュー・マコノヒーやジェームズ・ウッズ、ジョン・ハート、トム・スケリット、アンジェラ・バセットなど私の好きな役者がいっぱい出て来るので嬉しい映画でもあります。ああ忘れちゃいけないテロリスト役のジェイク・ビジーもいい味出しています。そうそう父親のデヴィッド・モースも。しかしこうやって並べると凄いメンツですね。この映画はロバート・ゼメキス監督の作品の中でも、特に完成度の高い、素晴らしい映画だと思います。ま一部日本の描写があれなのは突っ込まないでおきましょう……。

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