羊たちの沈黙

 今回は90年代のサイコサスペンスブームの火付け役「羊たちの沈黙」について書いてみたいと思います。当時とにかく凄いという噂を聞いて、とりあえず何も情報を入れずに観に行きました。しかし劇場での最初の鑑賞のときは、あれ? イマイチかな? と思ってしまいました。よくやる失敗です。私はこれをホラー映画だと思って観てしまったのです。途中のレクター博士の脱走とか文句なしに面白いんですけど、そこに比べるとクライマックスが何だか迫力不足に思えてしまいました。ひょっとしたらサイコサスペンスというジャンルがまだ浸透してなかった時期だけに私以外にもそういう人がいたかもしれません。いなかったらごめんなさい。

 それによく考えたらレクター博士の存在がストーリーと関係なくね? とまで思ってしまいました。原作も読まず、どのような役回りか理解できていなかったのです。とは言え、異様な雰囲気と物語には思う所あり、すぐにトマス・ハリスさんの原作小説を読みました。そして理解しました。これは「悪魔のいけにえ」みたいな猟奇殺人犯を、ホラー映画のモンスターとしてでなく、一犯罪者としてリアルに描いたサスペンスなのだ、と。そんなの初見で分かれよ、というところですが私も当時は若く、刹那的な刺激を求める観客だったのです。シュワルツェネッガー映画でも「レッドブル」はつまんないねと言っていた時期です。大目に見て下さい。

 さてそんなわけで物語の主旨を理解して、私はもう一度劇場に観に行きました。そうすると原作の名場面が実にきめ細やかな、時には大胆な演出で映像化されていて驚きました。この映画はクラリスが主人公で、彼女がいかに過去のトラウマを払拭して事件を解決し、一人前になるかという物語なのですが、最初に観た時、私はそこまで気が回らず、次の見せ場まだー? みたいな心境だったためほとんどドラマを感じることが出来なかったのです。

 クラリスに感情移入出来ると、この映画は単にハラハラドキドキさせるシーンを並べただけの映画でないことが実感できると思います。そしてレクター博士の存在意義も分かってきます。レクター博士は彼女が自分自身の過去と向き合うのに必要不可欠なキャラクターでした。むしろバッファロー・ビル事件の方がどうでもいい、というか何事件でも良かったのです。捜査の合間に訓練の様子も描かれますが、ここでのクラリスはいまいち頼りないです。それもこれもラストのサスペンスのためです。

 犯人の家に乗り込んだクラリスはここで犯人を見失い、無人の家を怯えながら捜索します。いきなり音が鳴って観客を驚かせる演出や、グロテスクな映像も出てきません。ただただジョディの芝居と、カメラワークと、照明などの雰囲気で息をもつかせぬ緊迫感を作り上げています。犯人は出て来ないのですが、もし出てきたらクラリス大丈夫か? という不安感がすでに観客に植え付けられています。ここでの緊張感は脳が痺れるほどでしたね。闇の中、犯人がクラリスの顔にさわろうとしたときは観客席から悲鳴すら聞こえました。

 ここで犯人はクラリスの背後で、銃のハンマーを起こします。普通だったらそのまま撃ってジ・エンドですが、毎日訓練を受けてその動きが体に染み付いていたクラリスは、瞬時に振り返って、全弾を犯人に撃ち込みます。犯人を責めることはできません。あの怯え切った様子からはその行動は予測できないからです。この場面は犯人とクラリスのどっちが上か、ということでなく、クラリスがFBI捜査官としてどこまで鍛えられているかということが表現されています。つくづく事件や犯人はどうでもよく、クラリスの成長に焦点が当てられているのです。そもそもクラリスとレクターに絡みはあっても、犯人のジェイム・ガムとはありません。非常に不思議な構造のストーリーになっています。

 そう考えると、初めて観たときに違和感を覚えた、レクターが捕まらないまま終わるこのエンディングも、これしかないという終わり方に見えてきます。この「羊たちの沈黙」で、何となく私は表面的な刺激のみの演出以外にも、興味というか面白みを感じるようになれたのではないかと思います。そういう意味でちょっと特別な思いを持っている映画なのでした。

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