コンテイジョン

 新型コロナウイルスのニュースも気になる今日この頃、ちょっとタイミングが良すぎてむしろ気が引けるくらいなのですが、本日はスティーヴン・ソダーバーグ監督のパンデミック・スリラー、「コンテイジョン」を紹介したいと思います。この手の映画というと実はいっぱいあるのですが、派手さを抑え、かなりリアルなシミュレーションという意味でなかなかよく出来た映画です。

 まず映画が始まっていきなり「二日目」とテロップが出るので驚きます。もう感染は始まっているのです。いつもながらリアルな映像にハリウッド娯楽超大作といったノリの映画ではないことはすぐに分かります。公開時はオールスターキャストであることも売りにしていたようですが、みんなスターのオーラを隠すようにごく普通の人を演じています。照明のせいなのか撮影のせいなのかメイクのせいなのかどうしてこんなに普通の人に見えるように撮れるのか、ソダーバーグさんは本当に凄いですね。

 グウィネス・パルトロウ扮する妻が発病から突然の死を迎え、旦那のミッチ(マット・デイモン)が動揺を見せることから物語は始まります。一応ミッチの家族(と言っても痛ましいことに娘しか残っていないのですが)を中心に、政府の対応や、各国の思惑、そして最前線の医師の努力を描く群像劇となっています。事実を淡々と追っていくドキュメントのような作りで「トラフィック」のソダーバーグさんの得意分野とも言えましょう。この人は他にいくつも得意分野ありますけど。

 特にセンセーショナルな見せ方はしなくとも、題材が興味深いため、そして緊張感ただよう演出のため画面に目は釘付けです。もしこのような新種のウイルスが発生したらどうなるかというシミュレーションを真面目にやってみた、という感じです。その知的興味と、やはり役者さんの演技がなかなかの見物でございます。私はケイト・ウィンスレットがなかなか良いと思いました。こんなキビキビした役も合うのですね。あとはこの人にはお手の物でしょうが憎まれ役としてジュード・ロウさんがなかなかいい味を出していました。

 このジュード・ロウなんですが、フリーの記者と称して多数の読者を持つブログをやっていて、今回のウイルスの件でも陰謀論を説いたり、根拠の無い特効薬を広めようとしたり、なかなか迷惑な人で、何かというとネットを引き合いに出したり自らのブログの訪問者数をひけらかしたり(その数がどんどん増えていくのが笑えます)、この辺り現代的で苦笑いしながら観る方もいるかもしれません。私が面白いと思ったのは、彼が悪い人で、政府の人はいい人、みたいな単純な構造になっていないところです。例えばウイルス対策の指揮を執っている人(ローレンス・フィッシュバーン)が、シカゴが危険だと判断して、その情報を公表する前に、恋人にシカゴを離れろと言ってみたり、感情的には責められないのですが、じゃあ国民としてそんな特別扱いする人が指揮を執っていることに納得がいくかというと、そうはいかないところでしょう。ジュード・ロウもいろいろ根拠が薄弱なことは言っていますが、そこを突っ込んでみたりという批判精神だけはちゃんと持っていたりとか、なかなか面白いと思いました。

 前述のミッチも、きれいごとを言って観客を啓蒙するようなキャラクターなどではなく、感染の恐れがあるから娘がボーイフレンドに会うのを禁じたり、もちろん娘のためを思ってのことでしょうが、そのような拒絶をしていたら、妻の埋葬を墓地から断られるという因果応報を受けたりして、面白いと言っては不謹慎ですが、なかなか練られた脚本で考えさせられます。

 そもそもがウイルス対策として医学的科学的に最善と思われる「感染者は隔離する。感染の疑いがある者も疑いが晴れるまで隔離する」という方針がすでに差別的である、というジレンマをこの映画は我々に投げかけてきます。さらにはワクチンを大国が独占するのではないかという政治的問題も取り扱っています。ここまで手を広げると収集つかなくなりそうなものですが、ソダーバーグ監督はいちいちエピソードを全部見せたりせず、適度に省略することでこの密度の高い脚本を2時間以内にまとめてしまいました。

 そんなわけで徹底的にリアルな感触の映画なのですが、後半になるとワクチンの開発に成功し、それらがみんなの手に行き渡り、人々の疑心暗鬼も解けて未来にちょっと希望が持てるみたいな感じになっていくのですが、ちょっとどうなんだろう、と思ってしまいました。「ダークナイト」を観たときに思ったことを思い出してしまいました。あの映画で、船に爆弾を仕掛けるテロの場面を覚えてますでしょうか。あそこでバットマンが特に何をするでもなく、人々の善性によって事が解決したのですが、私は確かにあそこで爆発が起こってみんな死んでしまっては後味が悪すぎるので助かってホッとしたものの、その一方では「本当にそんなに人間とは善良なものなのだろうか」と思わなくもありませんでした。それと似たようなことをこの映画でも思ったのです。

 確かにウイルスで人類は絶滅しましたとか、ワクチンは完成したがみんなには行き渡らず、力ある者だけが生き残りましたとか、暴動のため荒れ果てた世界になりましたとか、そういう映画はいっぱいありますし、そうではなく人間の善良なる部分を信じたいということでこういう内容にしたのでしょうが、このリアルさで描かれたウイルス映画で絶望的なラストであったなら、もの凄いものができたんじゃないだろうか、みたいなことも思ってしまったのでした。

 ただ、全てを見せない演出によって、想像力豊かな人にはかなり恐ろしい映画にはなっています。逆に、特に深く考えない人にはなんだか物足りない映画になってしまう類いの作品かもしれません。それを「ここまでしか見せない」という線引きがソダーバーグさんのセンス、なのかもしれません。


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