ダンサー・イン・ザ・ダーク

 後味の嫌な映画についての話になった時、いまだによく挙げられる映画の筆頭がこれではないでしょうか。ラース・フォン・トリアー監督の「ダンサー・イン・ザ・ダーク」です。私は公開当時この監督の映画を観たことがなく、主演のビョークについても元シュガー・キューブスのヴォーカルであるくらいの知識しかありませんでした。でも非常に評判が良くて、何やら賛否両論沸き起こっていると聞いたので、気になって観に行きました。

 まず度肝を抜かれたのが、ほとんど手持ちのデジタルビデオカメラで撮影されたドキュメンタリータッチで、画面サイズはシネマスコープ、さらにミュージカル、というちょっと意図がわからない仕様で撮られていることです。スタイルとジャンルがミスマッチのような気がします。しかし観ていくにつれ、そういうことは気にならなくなりました。

 スタイルは実験的と言えば言えるのですが、映画の内容はあくまで(いい意味で)メロドラマに終止して、ぐいぐいこちらを引き込んで行きます。ビョーク演ずるセルマは工場で働くミュージカル好きの未婚の母で、しだいに視力が無くなっていくという病気の持ち主です。物語は彼女の身にどんどん不幸が降りかかっていくというだけのものです。いや本当にそれだけです。

 そんな恵まれない境遇から現実逃避するためにセルマはしばしば妄想に浸ります。それがミュージカルシーンとなって現れます。セルマが不幸であればあるほど、ミュージカルシーンの幸せ感が引き立ちますし、そこが幸せであればあるほど、現実の不幸がさらに重みを増します。これを効果的にするため、歌と踊りは本当に力が入っていて見事です。

 物語はなんだかんだで平和に進むのですが、ある日、隣に住む警官がセルマの貯金を狙い、ちょっとした争いになります。そこでセルマはその警官を殺してしまいます。誤って殺したというレベルではありません。警官は借金苦に追われ、犯罪か死に逃れるしかないと思っていたようで、金を奪うことに失敗したと悟ると、セルマに撃ってくれと頼みます。興奮状態にあったセルマは、その言葉通りに警官を撃ってしまいます。

 このシーンを見てこの監督は何てサディストなんだろうと思いました。こういう悲劇というものはたいてい主人公が無実の罪に問われるものが多いのですが、この映画に限っては無実ではありません。実際に罪を犯しています。もう逃げ道はありません。しかも拳銃で警官を撃つシーンの猥褻さと言ったらありません。私の考えすぎかも知れませんが、銃が男性自身の象徴と考えると、このシーンはあまりにエロティックでサディスティックです。

 だからマゾヒスティックな性質を持つ人に受けがいいのではないかと思います。不幸な主人公に感情移入して泣くことが好きな人は、この映画を観て不幸に浸れて気持ちがいいのです。かく言う私もその一人なのですが。ちなみにこの映画が一番ヒットした国は日本だったそうで、日本人は不幸が好きな人が多いのですね。

 その後、セルマは裁判にかけられ、刑務所に入れられ、死刑に処せられます。この流れの中でもミュージカルシーンが挿入され、不幸好きの涙を誘います。特にマゾの性癖が無い人は、もの凄く嫌な気分になるか、イライラすることでしょう。普通の感覚を持った人は、主人公であるセルマがもっと無実を証明、というか情状酌量の余地を主張すれば死刑にはならないはずだ、と思えるでしょう。まるでセルマ自身が自分の不幸に酔っているように、望んで死刑になっていると見えるかもしれません。でも実際酔っているのだからこれはしょうがありません。彼女にとっては現実の不幸は、歌や妄想の幸福感を引き立てるためのスパイスでしかなくなってしまったのです。特にラストの辺りでは。

 私はその域まではとうてい達することができなかったので、刑務所に入れられてからというもの、身体が震えてしょうがありませんでした。可哀相という感情と、もどかしさと、恐怖といろんなものが入り交じって、正視できなくなってしまいそうでした。

 凄い映画です。現実的には何も救いが無いのに、ラストのエンドロールの曲を聴くと、なんだか癒されるような気がします。まるでセルマが殉教者か何かのように思えてくるのですが、冷静に考えたら単に殺人者が罰せられただけのことなのです。このような錯覚を起こさせてくれるのがまさに映画のマジックであり、それを味わうために、私は何度も劇場でこの映画を観てしまいました。

 人によっては、この映画が大嫌いという人もいると思います。私も全てが好きということではありませんし、監督とは絶対に友達にはなりたくないのですが、この映画を観ることで自分の中にあるドロドロとしたものと向き合い、それを昇華させることができるような気がして(錯覚かもしれませんが)、そんなわけでこの映画は私にとって特別なものであったりします。

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