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先輩の話

文筆家というのはただ「走った」というだけのことを表すのにも気を遣い神経をすり減らして生きている。私も一読者に過ぎなかった頃はなんというか、難儀な人種だとか、「走った」と書いてはたしてどんなふうだったかと想像させるのが仕事ではないのかとか思ったものだったが、いざ筆を取ってみると「そう描かねばならない」という強迫に駆られるのだ。

私がそれに気づいたのは、例の25日がうんと過ぎた時のことだった。
先輩のことなどもう忘れてしまうのではないかというくらい長い時間を経て、私がSNSをぼんやりと眺めていた時。
久しぶりだ、という感慨の直後、先輩の投稿が目に入った。都内某所でのいわゆる「オフ会」。私は考えるより先にそれを運命と受け取り、組み立てたばかりの安楽椅子から参加のメッセージを送ったのだ。

当日。
先輩は、最後に見た時よりも随分と楽しそうにしていた。最後に見た時が特殊であったから、当然かもしれない。
けれども私は安堵した。
あぁよかった、と、いくつかの意味で。
しかし、その会が始まって数分で、私は違和感をおぼえる。息苦しい。参加の面々みな時節柄マスク姿で、私も例に漏れずそうであったけれども、それにしても息苦しい。
いわゆる「視える人」ではないからついぞ確証は得られなかったが、その部屋にいる間中、息苦しさは続いた。
文筆家としての衝動に任せるまま描くのであれば、あの部屋での私の様子は明らかにおかしかっただろう。
奇行には走っていなかったと信じたいが、気候に走らぬために気を張っていた。半ばほどを微動だにせぬようただ静かに呼吸をするために費やし、残りの半ばほどは気をやらぬよう指のささくれを引っ掻くのに費やした。
意図して先輩の言葉に耳を傾け、意図してたとえば、なるほど我々が役割を果たしきらないものだから、先輩のような人々が尻拭いをする羽目になるのだとか、そういう脈絡のない、我がことでないものを考え、ついには「ああいうものは、乱された精神の隙間に入り込むものだから」などと、だれぞの差し入れた煎餅を見ながら納得した。

あれは何だったのだろう。
帰路。先輩が大勢の参加者を伴って駅へ向かうのを見送って、ひとり歩きながら考えた。
あれは一体。
いくら考えても、答えは見つからない。
道中見かけた喫茶店でコーヒーを頼んでも、私の好みではないうすいアメリカンを水のように飲み下しても。
そして結局、アメリカンの陽気で浮かれたイメージのおかげか幾分気持ちが軽くなったのを良しとして、私は再び帰路についたのだ。
今にして思えば、アメリカンなど飲まないほうが良かった。もっと言えば喫茶店になど寄らないほうが良かったが、どうせ飲むのならキツいダブルのエスプレッソか、ショットのウイスキーにするべきだった。
そうしておけば私は、あの場の息苦しさについて誰に問うこともなく家に辿り着き、「昨日アップロードした」と先輩の語ったものがあったことを思い出し、布団の中でそれを開くこともなかっただろう。
その投稿日時が3年前だと気づくこともまた、なかったはずだ。

先輩のことを思い出す。
先輩がどんなふうに語っていたか、私はそれを克明に描写しなければならないという衝動に駆られる。たぶんそれは、私が文筆家でなければひとえに「彼のためにも」と語ったであろう感情のために。

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