本、シロタ・村山・高見澤著「ベアテと語る『女性の幸福』と憲法」
シロタ・村山・高見澤「ベアテと語る『女性の幸福』と憲法」
https://www.shobunsha.co.jp/?p=1105
ウクライナ紛争避難者支援で知った人物が、元GHQのベアテ・シロタ。10代を日本で過ごした、日本語堪能なマルチリンガルの秀才。
ベアテが1930年代の日本滞在で目の当たりにしたのは女性に「教育・安心・自由」は不要、「産む機械だ」と決めてかかる近代日本社会(1968年〜1945年頃が近代、という認識)。1896年に明治民法で男性間の「四民平等」は成立したはずだが女性は除外(と記す本があるが、文部科学省の検定教科書では決して「男性限定」の事実は伝えない。)。
太平洋戦争前、日本の女性は「女+家=ヨメ」「下女」「遊女」などとして社会の目が届かない(Invisibleな) 無法地帯の牢獄的環境に繋がれ、「便利なタダ働き家畜的労働者」として生きるしか道がなかった(21世紀も本心では不変💦?)。ともかく1930年代当時の日本女性の惨めな立場は、10代だったベアテに鮮烈な印象として残った。
18歳で一人日本を離れ米国へ留学後、ジャーナリストに。だが、太平洋戦争中の1940年代に日本国内で所在不明となった母オーギュスティン、父レオ・シロタを探すチャンス、と米国の知人に勧められ、日本敗戦後GHQの一員として来日。
ベアテは勤務中「日本女性も人間」と定義せよ、とGHQでケーディス大佐を説得、日本国憲法24条執筆を担当することになった、とこの本では述べている。ちなみに、ベアテ・シロタ等、誰がどの条文を執筆したかは20世紀末まで機密事項だったので多くの日本人政治家も専門家と呼ばれるお歴々も、勉強不足であれば彼女を知らぬまま2000年代を迎えた模様。米国における機密保持期間終了後、ベアテへのインタビューを収録・書き起こしたのがこの書籍だという。
ベアテ・シロタのお陰で日本女性も敗戦後、やっとこさ法的には「人」の仲間入り。投票可能になったし、法的には嫁畜人生一応終了。彼女の強さがなければ、君の娘はどんな人生を強いられていたのだろうか、と想像してくれ。おそらく21世紀になっても日本女性たるその娘は成人しても車も家も所有できず、秀才でも大学は「男優先入学」とか言われて(今もそうだが)、戦前の男性重婚制度のもと、一人のアルファオス的男性に何人ものメスが家を建ててもらったり私生児の養育費をもらうために、できる男に縋(すが)って生活していたのだろう(というのが近代日本の実態だったので、サムライ士族的官僚的に「前例踏襲」していただろ)。
ウクライナ大使館H Pに山田耕作によって東京音楽大学(今の東京藝術大学)の教授として招待された天才ピアニストの父「レオ・シロタ」の紹介はある。
https://japan.mfa.gov.ua/ja/news/Leo-syrota
しかし「ベアテ」の紹介は不掲載(なので政府関連のHPからはリンクが引けなかった)。日本の外務省官僚による掲載禁止令アリか、と日本サムライ士族的官僚の意図を、納税国民当事者♀は感じる。さて、3度ほどこの本を読みかえしたところで、次は映画を鑑賞したい。
映画「ベアテの贈り物」
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