エスケシュ:「時の4つの顔」

まずはこの作品を演奏するコンサートの宣伝から。

7月18日(木) 11:00より、東京藝術大学奏楽堂にてモーニング・コンサートに出演いたします。
詳細は以下のリンクよりご覧ください。

大学卒業に伴い出演を推薦していただいたこのコンサートのために、エスケシュのオルガン協奏曲第3番「時の4つの顔」を選曲させていただきました。
オルガン協奏曲といえば、プーランク、バーバー、ギルマン、ヴィドール、ジョンゲンあたりの作品がありますが、本作品は藝大モーニング・コンサートでは初演奏、というか日本人ソリストとして(おそらく)初めての演奏になります。
録音も少なく、あまり知られていないこの作品を演奏するにあたって本番の演奏をお楽しみいただくために、コンサートでお配りする曲目解説には書ききれなかった私のこの作品への思いを綴らせていただきます。


エスケシュってどんな人

ティエリー・エスケシュは、1965年フランス生まれの作曲家、オルガニスト、即興演奏家です。
作曲家としては、オルガン作品に限らず幅広い楽器や編成のために作品を書いています。
オルガニストとしては、《レクイエム》で有名なモーリス・デュリュフレがオルガニストを務めていたパリのサン・テティエンヌ・デュ・モン教会のオルガニストを長年務めるほか、コンサート活動も行っています。
即興演奏家としては、パリ国立高等音楽院即興演奏科の教授を務めています。

3足の草鞋ですごいなと思われた方もいらっしゃるでしょうか。実際すごい方なのですが、オルガニストが作曲もするし即興演奏もするというのはフランスにおいては伝統的なことで、フランク、ヴィドール、ヴィエルヌ、トゥルヌミール、デュプレ、デュリュフレ、メシアンといったオルガニストたちは、オルガン以外のためにも作品を書く、いわば作曲家で、オルガンはまだ電気が通ってない時代ではそんなにたくさん練習ができない楽器でしたので、即興演奏ができることがオルガニストの素質でもありました。
現在では、作曲と演奏の分業化の現象が起きていますが、エスケシュはそういった伝統を現代に引き継ぐ音楽家であると言えます。

エスケシュのオルガン協奏曲第3番作曲の経緯

エスケシュは、オルガン協奏曲第3番というくらいですからこの作品の前に2つオルガン協奏曲を書いています。
オルガン協奏曲第1番は1995年に、第2番は2006年に初演されました。ちなみに、第1番の日本初演は大平健介さんによる藝大モーニング・コンサートでの演奏でした。
第3番はというと、2017年に初演され、なんと初演地は日本なのです。
オーケストラ・アンサンブル金沢、国立リヨン管弦楽団、アメリカ・オルガニスト協会の共同委嘱によって書かれたこの作品は、作曲家本人による演奏で石川県立音楽堂にて世界初演され、次いで那須野が原ハーモニーホール、松本市音楽文化ホール、ミューザ川崎シンフォニーホールで初演ツアーが行われました。

オーケストラは完全な2管編成になっていますが、アルト・フルート、ピッコロ、コーラングレ、バス・クラリネット、コントラファゴット、ピッコロ・トランペットといった特殊管を使用します。
打楽器も2人用にパート分けされていますが非常に多くの打楽器を使用します。

「時の4つの顔」とは

原語のタイトルは Quatre visages du temps です。
Visageというのはシンプルに顔のことも言いますが、様相、姿という意味もあります。日本語で、意外な一面、みたいな言い方をするときの「面」がまさにvisageです。また、Temps も非常に広い意味を持つ言葉なので訳が難しいのですが、時代、世の中、といった意味もあり、奥行きを持った「時」であると言えます。

このタイトルを理解するのに参考となるのが次の作曲者の言葉です。

4つの絵(タブロー)は、音楽史における4つの時代を映し出したものである

スコア記載のプログラムノートより

この作品は4つの楽章に分かれていますが、それは絵であり、音楽史上の4つの時代を映し出した絵だというのです。

音楽史の4つの時代といえば、バロック、古典派、ロマン派、近現代ですが、それらが映し出されているのでしょうか。エスケシュはあまり詳しいことを言及していないのでここからは私の解釈になりますが、ご参考までにお読みいただけたら嬉しいです。

1つ目のタブロー『源』

第1楽章(第1タブローと言うべきか)は、『源 Source』というタイトルがついています。
入り組んだ構造に聞こえる作品ですが、それを紐解くと非常に計算され、シンプルな方法で構築されていることがわかります。

ヴィブラフォンの「ソ」とトライアングルで始まり当分オーケストラは「ソ」のみの世界を表現します。その間オルガンがフルートの模倣管で分散和音を演奏するのですが、それぞれの分散和音の最低音を拾うとこの楽章の主要主題である「パッサカリア」の主題が浮かび上がります。
パッサカリアはバロック時代の3拍子の舞曲で4小節ないし8小節単位のバス主題が繰り返し演奏されるものです。この主題は8小節単位で、前半は4度下降のゼクエンツ (sol ré mi♭ si♭)で、後半は順次上行音型(do ré mi♭ fa)です。エスケシュはこの前半部分について「パッヘルベルのカノンを遠くに感じさせる」と言っています。

パッサカリアの主題の2ターン目はオルガンの分散和音のバスと、アルト・フルート、弦楽器のハーモニクス で交互に演奏されます。3ターン目は低弦に移りオルガンはヴィブラフォンと下降順次進行音型でコミュニケーションを始めます。この音型は、パッヘルベルのカノンの第1バイオリンの冒頭に由来していると言えます。4ターン目はオルガンがなくなり、4ターン目が終わるとオルガンの再登場、ここからはパッサカリアの主題の後半を用いて常にバス声部がじわじわと順次進行で上行します。

ひとしきりバス声部が上がりきると、オルガンとオーケストラで6連符のクラスターの同音連打でディアローグを始めます。
ディアローグが終わると再びパッサカリアの主題が現れ、オルガンがバロック時代のコラール前奏曲風のソロを演奏します。

この後もこの楽章は続きますが、このようにパッサカリアの主題と主題の後半の拡張、そして6連符の3つの要素を軸として発展していきます。

2つ目のタブロー『仮面』

第1楽章では、パッサカリアやパッヘルベルのカノン、コラール前奏曲の要素などを使って、エスケシュの音楽の世界にバロック時代の要素を映し出していることがわかりました。
一般的には、音楽史においてバロック時代の次の時代は古典派といわれます。
しかし、エスケシュはこの楽章に出てくる和音のゼクエンツについて「ヴィヴァルディ的だ」と言っています。ヴィヴァルディはイタリアのバロック時代の作曲家です。この楽章にはどんな音楽が映し出されているのでしょうか。

バロック音楽は一言で言えば「線の音楽」です。違う形の線が組み合わさることによって音楽が展開し、線が組み合わさるそれぞれの瞬間の響きが常に変化し、揺れ動いています。その後に来る古典派の時代の音楽は「面の音楽」です。バロック時代には複数あった線を1つピックアップし、その線の表情、色をそのほかの要素を持ってより増強するものです。受け取り方によっては、より「単純に」聞こえてくるでしょう。
そういった意味ではヴィヴァルディは線によって音楽を書きましたが、面の要素が強いです。それぞれの線を同じ和音の響きの中に留めているので、単純さが強調されています。

この楽章はというと、第1楽章にみられたようなバスと上の声部の絡み合いはあまりみられず、和音の響きの展開が先行し、その響きの中に旋律的な要素が現れます。また、長三和音や短三和音などの単純な和声が用いられているのも特徴です。

さて、この楽章のタイトルが何故「仮面」なのかはわからないままです。エスケシュのオルガン曲《Poèmes》の第2曲も同じタイトルです。どなたか考察がおありのかたはぜひ教えていただきたいです。

3つ目のタブロー『ロマンス』

Romanceという言葉を仏和辞書で引くと次のような意味がありました。

  1. 恋の歌

  2. ロマンス(甘美な旋律の短くて素朴な声楽または器楽曲)

  3. (18-19世紀に流行した)恋愛詩、ロマンス

音楽の文脈では、ロマンスという作品のスタイルが存在するわけですが、そもそもロマンスとは何かと言われたら、恋愛について語るものなのです。

この楽章は6/8拍子で書かれ、舟唄のようなリズムの甘美な旋律が現れますが、現れては重く暗い世界に飲み込まれてしまいます。

あくまでに日本語に基づく解釈にはなってしまいますが、ロマンスが「愛の歌」ではなく「恋の歌」であることがミソなのだと思います。

「恋」とはすなわち「乞い」です。恋いる(乞いる)対象があるということです。このロマンスは、ただ愛を歌うのではなく、美しくとも必ず届くとは限らない恋を歌うのです。

ロマンス的な旋律はリズムと下降跳躍音程を特徴に残して断片的に現れます。この楽章の最後はカデンツになっており、最後の1ページが書かれているだけで、カデンツは即興演奏で行うように指示されています(オルガンのパート譜には演奏例が書いてあります)。
カデンツの最後のページを見ると段々と音が小さく、少なくなるように書かれています。ロマンスは満たされずに終わるのです。

4つ目のタブロー『夜のあとに』

前の楽章から休みなしに弾かれるこの楽章は現代の音楽を映し出していると言えるでしょう。
現代音楽というと無調を連想しそうなものですが、この楽章には無調、すなわち12音を均等に扱おうとする場面は一切ありません。どちらかというと、リズムの繰り返し、4度累積といったポピュラー音楽に見られる要素が随所に現れます。
クラシック音楽を専門に扱っている人からすると、クラシックにおける現代音楽こそが現代の音楽、という気がしてしまいますが、現代の人々に膾炙している音楽の大部分は大衆音楽であり、実はこれこそが現代の音楽を代表する姿だと考えることさえできます。

レコード、カセットテープ、CD、ウォークマン、音楽配信アプリ……科学技術の発展によって地球の歴史上人間の生活はかつてないほど音楽に溢れています。

それによって、音楽はあらゆる人々に浸透していきました。流行りの音楽だけでなく、自分の好きな音楽を好きな時に楽しむことができるようになりました。音楽が個人的なものになったというのが現代の音楽の大きな特徴なのです。

さて、この楽章には今までの楽章に出てきた要素が再現され、曲想も静かなゆっくりとしたところから速く機敏なセクションへと大胆に発展していきます。古今東西の様々な音楽を受容する現代の様子を映し出しているようです。

終結部には再びパッサカリアの主題が現れ、ここではポップス的な和声が当てられています。
そして冒頭と同じ「ソ」のユニゾンで終わります。こうして時の5つ目の顔への挑戦がまた始まるのです。

演奏会に向けて

この作品を選ぶときに、自分の技術で演奏できる作品なのだろうかととても迷いました。でも、コンチェルトを弾けるという人生にまたと無いかもしれない機会、それも自分で好きな作品を弾ける機会は次いつ来るかわからないと思い、決心しました。
練習しているときは挫けそうにもなりましたが、この曲を弾けてよかったと心から思える、そんなコンサートにしたいと思います。

平日のお昼という忙しい時間ではございますが、多くの方にお越しいただけたら嬉しいです。
奏楽堂にて皆様のご来場をお待ちしております。

ではまた!
塩澤真輝 Masaki Shiozawa
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