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理想的な社会と三角の対話

三角(参画)の対話を広める活動の「つながり」のなかで、湯川秀樹先生の「この地球に生まれ合わせて」という本の一部をご紹介頂きました。

理想的な社会とは何か

” それから、ちょっと問題が違いますが〈理想的な社会とはなにか〉について、いろいろな答えが書いてある。その中で大変感心しましたのを一つ。〈三角形の底辺にある人たちが苦しくなく、頂点にある人たちが悪いことをしない社会〉、入学試験の模範答案みたいで、いいに決っているんですが、〈頂点も底辺もない社会〉といわないところが面白い。理想としては大変ひかえ目なわけですが、昔からこういう社会はあまりなかった。たまに、これに近い社会がありますと、大変いい時代だったと、後世までいわれるんですね。”(この地球に生れあわせて/講談社文庫刊/1975)

〈頂点も底辺もない社会〉と いわないところ が面白い

よく「フラットな(関係性)」と言われますが、「そうはいわないところが面白い」と。この湯川先生の文章を読んでこんな話しを思い出しました。

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世界でも有数の大学!頂点を極めた秀才が世界中から集まるトップクラスの大学に晴れて入学すると、約半分が「病んでしまう」というお話し。

真意はともかく、入学前までは全員が各地で「頂点」を極めていたのだと思います。ところが入学をしてしまうと自分の「位置」というものが目に見えて襲いかかってくる。結果として約半数が「頂点」から一気に「平均以下」へ落とされてしまう。これは結構辛いかもしれない。

世界有数の大学に限らず、人が集まると自然と上下関係が出来てしまいます。やがては底辺にある人が苦しみだし、頂点にある人が悪いことをしだします。そして今、もがき苦しむ日々が。。。。。

頂点と底辺(三角)がなくならないなら「三角形で対話」を

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三角形の対話とは何か。
普段の会話は外的対話(人に向かって話すこと)と内的対話(自分との会話・内なる他者との会話)が複雑に絡まっています。話している最中に聞き手が介入し話し切れない時もあります。また人の話を傾聴していても「内的対話」にあまりにも集中してしまうと、相手の話を充分聞き切れない時もあります。頭の中がとても忙しく煩雑になります。(普段の会話では、より良き方向性を見出したり、より良き判断が出来なくなる可能性が残ります)

そこで、「三角形の対話」では一工夫をします。

話し手・聴き手・観察と役割を分担

今は話す時(人)と、今は聞く時(人)に加え、二者間(話し手聴き手)の会話に巻き込まれずに、今は会話を観察する時(見守る人)という第三の視点を加えて、役割を「三つに分担しシンプルにします。一寸奇妙な感じがするかもしれませんが、役割を分担することで起こることを理解し練習すれば、三角の対話の価値は充分理解して貰えると思います。

「三」という数にはとても大切な意味がある

リフレクティングの著書・矢原隆行先生は

古くから「三人寄れば文殊の知恵」という諺もありますが、リフレクティングの基本的意義を考えるとき、この最小構成としての「三人」という数には、とても大切な意味が含まれています。(第一部基本編より抜粋)

と、書かれています。そこで、「三角の対話」をするときには、まず従来の三角形(頂点が上で底辺が下)を思い切って180度ひっくり返してしまうといいのではないか、本当にそのような事ができれば、新しい世界が開けるのではないかと、思うのであります。

従来の三角形の頂点にある人は下点へ 底辺の人が上辺に

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底辺にある人たちの対話をひっくり返して上辺へ、頂点にある人は介入せずに少し離れた下点から「観察」するという感じです。観察とは外的対話には参加せず、ただただ傾聴と観察だけをします。

頂点にある人(観察役)は、様々な見解が存在することを受け入れ、自分の見解を正当化する姿勢を排除し、対話から全体を理解するように努めます。

頂点にある人たちは悪いことをするのではなく、「全体を良くする」ためには様々な意見が存在することを観察という態度で受け入れ、底辺にある人が、安心して、思ったこと言いたいことが言える状態をつくり、更に「全体を良くする」という課題に対しては「平等性」を保つことで、お互いに「全体を理解する」ための対話をする。対話し続ける努力を共にする。

専門性の鎧を脱げるかどうか

頂点にある人は話を充分聞き切ります。聞き切った上で、自分の意見を言うときは「トップ(上)」からではなく「ボトム(下)」から「専門性の鎧を脱ぎ捨てて」丁寧に外的対話を出すように心がけます。

言葉の矢印を人に向けるのではなく、三角形の真ん中にお盆かテーブルを想定し、そのお盆の上に言葉を置いて眺めて貰えるような提出の仕方を心がけましょう。またその意見想定に対して発話があったときは、ついつい応戦しがちです。売り言葉に買い言葉は避け、サッと切り替えて「観察」モードに戻ることが大切です。

三角の対話をみんなでおこなえば....

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このポスターのように、個々人を超え、地球全体として「理想的な社会」が訪れると信じています。

大変いい時代だったと後世までいわれるには

今、私たちが「三角形」をどう扱うかにかかっているように思います。

三角形の底辺にある人たちが苦しくなく、
頂点にある人たちが悪いことをしない社会は、
共に「話し方」を工夫することでも創り出せると思います。


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