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相氣的挨拶

相氣的挨拶とは何か。

今、地域やマンションでは隣人と殆ど口をきいたことがないとか、挨拶をしても返して貰えないとか、防犯上の観点から知らない人と関わることが危険とされたりもしている。一方置きベンから挨拶をすると殆どの人が返してくれる。挨拶が何回かしあえると何処の誰だか知らなくても言葉を交わし合える顔見知りとなり、色々な人生経験を話して貰えたりもする。一体この差は何か。置きベンに座り町を眺めながら考えてみた。

オープンダイアローグで開かれゆく地域/著小畑あきら/遠見書房2014刊/ナラティブとケア第15号

例えば「挨拶をしましょう!」というと、「する」「させる」という二分されたものを感じます。近代のスポーツで言えば、自分と相手が分かれていて、相手の自由を奪う為に如何に技をかけて投げるかみたいな。

古武道の相氣って、ちょっと違う感じを受けていて、一体となって気付いたときには投げられていた感。 こちらの「おこり」が察知されてしまうと相手は身構えますが、すっと入って「こんにちわ」って言えば、見知らぬ人でも大抵のひとが「頭をさげて」「こんにちは」と返して「しまう」状態。

無視して通り過ぎるのはお互いに簡単で、いまやそれが初期設定のような感じですが、うっかりと挨拶できてしまったほうが、なんかちょっと心が軽くなる感じがしています。

相手もそのような感じになっていれば嬉しいです。 こんな感じで人とひとの関係性を修復していけば、少しづつですが「まち」や「地域」も生き心地の良い町になるかもしれません。

勿論挨拶すること、されることが苦手な方もおられると思いますので、その方に向けて強いるのはある種の暴力である可能性があり、「相氣的挨拶」ではないと考えます。

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