探しものがあるのではなく出会うもの全てを待っていた
だいぶ更新があいてしまいました。
さきほど日記を読み返していたら、前職を退職した際に書き綴ったものがでてきまして。
今日のタイトルも、その中に書かれていたものの一つです。
探しものがあるのではなく出会うもの全てを待っていた
これ、ザ・クロマニヨンズの「生きる」という曲の中で出てくるフレーズです。(知ってる人いるかな)
最初に聞いた時にピーーーン!と目の前の視界が開けたような気持ちになったことを今でも思い出します。
こんな生き方、出会い方。
今までの人生振り返ってみてもそうだったな、と思います。
その時の日記の抜粋です↓
頑張って背伸びして手に入れた、探し求めて手に入れたように見えるものも、
結局はじぶんが生きてきた日々に相応する結果になった。
背伸びして手に入れたものはやがてじぶん相応の形となってじぶんに戻ってくる。
(いい意味でも悪い意味でも)
だから、ありのままのじぶんでいる時に出会うものは、“これに出会うようにじぶんは待ってたんだ“というフィット感がある。
人生で出会ってきたものはわたしにとって全て必要なことばかりで、不要と思えることも何一つ不要ではなかった。
この時は転職が決まった頃だったので、より「ご縁」に想いを馳せてこういった文章を書いていたのだと思います。
転職、人付き合い、もはや日々の買い物ですら、出会うべくしてわたしの人生に現れてくださっている、
とはっきりと思うようになったきっかけがこのフレーズ。
“出会うもの全てを待っていた”
と聞くと、受け身で消極的な印象を抱く人もいるかもしれません。
しかし、出会うもの全てを受け止めるためには、
取りこぼしがないようにじぶんの感覚をみがいて、
そして心を楽にオープンにしておくことが大切だと思っています。
これらは必ずしも消極的ではないのかな。
好きなものがなくても、いつかどこかで何かを好きになるときまで空っぽでもいいよ、と同じく甲本ヒロト先生が諭してくださっています。
だから、待っていれば大丈夫。