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「差別」を乱用してませんか?

私は以前から、差別の指摘をするのであれば「マジョリティの場合はこうなるが、それはマイノリティの場合であればこうなる。これが差別的な取り扱いだ」というのを明確にすべきであると主張してきました。

それは、そもそもの差別の定義が、特定のグループの合理性のない区別だからです。


たとえば、個人情報を集めて地図にしたりとかいったことは、マジョリティに対しては「やってはならないこと」であるのに、特定のグループが対象なら、それをしていいと思っていることなどは明らかな差別に当たるでしょう。

一方で、例えば、企業や組織が、人員の採用等で前科を調べることや、取引先企業が反社会的な組織に関わっていないかなどを調べること、そしてそれらの事実を根拠として採用や取引を断ることは一般的には差別とはみなされません。これは、犯罪に関わっているかいないかを区別することは合理的な区別であると判断されているから、差別の定義には当てはまらないと考えられているからでしょう。

もちろん、採用や取引の話であっても、すべての区別が認められるわけではなく、合理的でない区別をすれば差別に当たるというのは大いに有り得る話です。例えば、試験の採点で女性と男性の合格ラインが違っている、等の話は、現代では「合理的である」というよほど強い明確な説明がない限りは差別に当たる可能性が高いでしょう。

このように、差別の指摘については「なにとなにを区別しているというのか」「その区別は合理的であるのか不合理であるのか」という繊細な議論が必要になるわけであり、それらの議論をせずにただ「差別である」という指摘をするのはよろしくないと私は常々言ってるわけです。

で、昨日見た投稿の話になるわけですが、

このツイートを何度見てもどこらへんに「差別」があるのか、私には理解できません。
たしかにウサ山田氏のツイートは品がないですが、品がないことは差別とは異なりますよね。烏丸百丸にはこの人の理屈があるのかもしれませんが、説明をすっ飛ばして「差別」だというのは差別の乱用ではないでしょうか。

また烏丸の友人と見られるアカウントも

「グラビア差別」なるワードを使っていますが、その「グラビア差別」とはなにか、説明が特に見当たりません。
さらに「ペド差別反対」をかかげた村上さつきなんかは

こんなツイートまでしてますが、ペドフィリアとLGBTを区別することには一般的に合理性があるとみなされることですし、「LGBTQにペドが含まれていない」という主張を差別だということは不可能でしょう。「差別」の乱用はやめていただきたいですね。反差別を掲げる他の人に対しても迷惑でしょう。

身内にしか通じない理屈を掲げるのはいいげんにしてはいかがか。

本の帯を頼んだ人が「LGBTQにペドが含まれていない」という事実を投稿しただけで出版社が差別であるとぶちぶちぶちぶち批判されるのはあまりに理不尽すぎます。

ぺけったーで炎上中のいなり王子が誰だかすら、最近まで知らなかったようですが

「ペド差別」なるものをした出版社よりも、もっとほかに批判すべき相手がいるだろうよ。


おまけ。


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