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オニコロン株

オニコロン株が増えてきたみたいだから、あまり出歩かないようにしなさいね」


鬼でも倒しそうで恐ろしい、それでいて何とも間抜けな名前の株が出た。年末に帰省したわたしの息子に、87歳の母がかけた言葉だ。

息子とわたしと娘は一斉に噴き出した。母は「あら、違ったかい?」と言うだけだ。母の耳から入ったそのウイルスは、頭の中を通る間に変異株となって口から出た。いったいぜんたい、どうしたらそうなるのか。

母はいつだってそうだ。TVの中の人が言うことは、全て正しいと思っている。誰かが言った言葉を噛み砕くことなく、自分でもよく理解しないまま人に伝えようとする。そして途中で変異する。「教えてあげたい」という欲求が強いようだが、テキトーなことを教えられたほうは、いい迷惑である。

「間違ってる」とただすと「わかるでしょう。優しくないね」と、なぜだかこちらが悪者だ。プライドだけは高いので困ったもんだ。昔はそれでよく衝突したが、老いても子に従ってくれないので難儀している。

ところがだ。

「○○さんのスマホガラケーだから…」

わたしが娘に対して言い放った言葉だ。おもいっきり笑われた。わたしの中では携帯電話=スマホなのだからしょうがない。

「やー。わかるっしょ」と言ってから気がついた。しまった!母と同じことを言った。なんてこった。


歳をとるということは、そういうことなのかもしれない。自分にとって「大したことじゃないもの」は、年々どんどん増えてこぼれ落ちていく。そして長い間生きていくうちに「本当に大切で大事なこと」だけが真ん中にドーンと残るのだ。


いつだったか、病院の待合室での、80代くらいのおばあちゃん二人の会話。

挨拶を交わしたあとで急に「あんたのとこに新しくできたあそこに、あれ売ってるかい?あれさ、あれ。なんだっけ」

返事は「あー、あるある。あれ、あるよ。あれでしょ?」

もう、何がなんだかさっぱりわからないが、二人には同じものが見えている。人生もベテランになると、その域に達するのだと思った。全てを言わずとも通じるのだ。スゴい。スゴいのか?


然るところ、わたしに足りないのは相手に寄り添う心だ。言葉尻をとらえて直してあげるよりも、黙って相手の言いたいことを読み取ってあげる気持ちが大切だった。待合室のおばあちゃんたちを見習いたい。寄り添う心と長い年月の成せるわざだ。

「オニコロン」を聞いてから2か月がたった。いろんなことがあった。わたしのまわりでも、報道でも。世の中、理不尽や不条理が多すぎる。辛い。悲しい。笑えない。

相変わらず、オニコロン…いや、オミクロンは蔓延している。人間が自然界に試されているような気がしてならない。試行錯誤でもいい。ひとりひとりが自分でできることをやるしかない。3回目のあれは済みましたか?こっちがいいとか、あっちはイヤだとか言ってないで、さっさと受けましょうよ。本当の変異株も出たみたいだし。


母は今日も猫の名前を間違っている。「うに」と「くり」なのに、逆ならまだしも「うり」になったり「くに」になったりする。わたしがつけた名前、母にとっては大したことではないのだ。ガマン。ガマン。でも猫に向かって、わたしの息子の名前を呼んだ時は、さすがにぎょっとした。ほんとにボケたのかと思った。自分で大笑いしてたから大丈夫か。昨日は娘の名前だった。

最近わたしも、人やモノの名前が出てこない。「あれさ、あれ」が多くなった。そして変な時に突然思い出す。歳をとったと認めたくはないが、こればかりはしょうがない。物忘れはしょうがないけど人間として「本当に大切で大事なこと」は絶対に忘れてはいけない。


地球に生まれた人間の命が等しく尊いことは、誰に教わらなくても当たり前のことだ。自分を正当化し、自国民を騙してまで戦争を始めたあの人に『あなたの「本当に大切で大事なこと」は、それでいいんですか?』と聞いてみたい。


ウクライナに1日でも早く平穏な日が訪れますように。








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