ギリギリなわたしに安心をする
意識しなかったら、つい頑張ってしまう。
そんな性質を持つわたしが「無理のないようにできることを目標にしよう」と思って掲げた2021年の目標のひとつ。
「毎月エッセイを書く」
背景には、大切な人とのお別れと、そこから気付いた何気ない日々の豊かさ、
そして自分にとって言葉を紡ぐことが心をふくよかにしてくれることに気付いた2020年の経験がある。
(それについてはかがみよかがみに掲載頂いたエッセイに書いてます)
特集:2021私の宣言「失恋で絶望。誰かの日常を綴ったエッセイに救われた。だから私もエッセイを書く」
https://mirror.asahi.com/article/14086142
…で、今日は1月31日である(にっこり)
ついつい頑張りすぎてしまう割に、
後回しにしてしまう癖はなんなのだろうか。
今日は朝から、好きな管理栄養士さんの栄養セミナーを受けるために8時に起床。(わたしにとっては早起き)
慣れない早起きのせいか、昨日のお酒のせいか、昨夜ストレッチをさぼったせいか、
思い当たる節はそれなりになるのだけれど、
ぼんやりと体調が悪く、今スマホを握ってお布団の中から書いている。
本当は中旬頃に、お気に入りのノートに手書きで下書きをして、推敲をしながらパソコンの前でカタカタと軽やかに投稿するつもりだったのに、、
夏休みの宿題は、最終日に半泣きでやるタイプでした。
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去年、「こうなりたい」と願う思いが強すぎるあまり、頑張りすぎたことがある。その時ばかりはギリギリな自分すら許せず、切羽詰まってたよなぁと今になって気付く。
きっとそんなわたしの姿も、彼とお別れする原因のひとつだったんじゃないかな〜ともふと考えたりする。(ほんとのところは誰にも分からないけどね)
失恋で見事に心が折れて、なーんにも頑張れなかった期間は、やすらぎと不安がまぜこぜの不思議な時間だった。
あー、人の役に立てなくても生きてるだけでいいんやぁ
あー、いつも向上心やポジティブな心を持っていなくても、そのままのわたしを愛してくれる人いっぱいおるんやぁ
とひどく安堵をした。
(一体25年間、何に囚われていたんだろう。わたしはわたしであるだけでいいというのに〜)
その思いと裏腹に
でもやっぱり、頑張って輝いてた頃の自分のことは好きで、
もう一度、豊かな心を持ってはつらつと生きるわたしに戻りたい、
でももう戻れないのかな、と不安にもなった。
(結局時間をかけて少しずつ戻ってきたよ〜)
要はバランスなんだよな。
そのバランスを保ってくれる指標のひとつが、わたしのギリギリなのかもしれない。
宿題はギリギリにやる割に、
負けず嫌いの褒められたがりで勉強は頑張り屋さんの、優等生な小中学生だった。
でも、そのときも自分に厳しくしすぎて、心も身体も壊してしまったことがある。
25歳。
仕事に趣味に色んなことを頑張りすぎてしまう割に、
なんとかなりそうなことはギリギリまで溜め込んでしまう、
あの頃となんにも変わらない。
でも、そんなわたしが、わたしは好きだな。
あの頃と違うことは、
そんな自分だよな〜と認めて、健やかに生きること。
なのでこんな立派じゃないふんわりエッセイを書き、人に読んでもらい、わたしは立派ではないのですよ〜と分かってもらって、安心して、
今月の宿題提出ということにします。
来月はもう少し、いい感じのエッセイを書きたいな。笑
それでは、ふんわりお布団に包まれてお昼寝をしまーす!
おやすみなさ〜い