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公式の意味を考えずにまず覚えようとする生徒たち

こんなことがありました。

 中1の方程式の学習が始まった時、彼女は確かに「この公式覚えればいいんですね」 そう言いました。

 私は「この公式はね、まず考え方を理解しないと意味がない公式なんだよ」 そう説明しましたが、彼女はやみくもにノートに公式を写してまとめ始めていました。

 そんな姿を見ていて心配をしていたのですが、しばらく経って「方程式がまったくわかりません」と嘆く彼女の姿がありました。

今回はそんなお話です。

新しいことを学び始めた時の様々な反応

  生徒が何か新しいことを学び始めた時の反応というものは、実に千差万別です。

  たとえば方程式を初めて学習するときを例にとってみます。

  今は小学校で文字を使った式自体は習っているので、中1ではまず最初に等式の性質をしっかり学習します。

「等式の両辺に同じ数を加えても等式は変わらない」という法則(この他にもあります)を説明して

A=B ならば A+C=B+C という式の上での理解を図ります。

そして実際にたとえば  X-3=4 という問題をこれに基づいて解いてみます。

左辺に3を加えて右辺にも同じ3を加えても等式であることに変わりがないという事から 

X-3+3=4+3 よって X=7 

 こうなることを丁寧に説明します。

 ここで落ち着いて教師の説明を聞いている生徒からは「そうか左辺の3がこれで消えるっていることか」というリアクションが起こりますが、多くの生徒はまだ意味がわからず「?」という顔をしています。

順にいくつか同じような例を示していくうちに、食い入るような目をして学ぼうとしていた生徒たちは、一人また一人と意味が分かってきます。 

 このように学ぶということは

①まず示された新しい情報をよく咀嚼して

②具体例の中にそれを落とし込んで

③自分の過去有していた情報とそれをリンクさせていく

そんなステップをたどるように思います。

予期に反する反応を示す生徒たち

 ところが実際にはこのようなステップをたどらない生徒も多くいます。

最初から話をよく聞いていないタイプ

 これは自分が今まで持っていた情報や経験の範囲内だけで話を理解しようとするタイプと言ってもいいかもしれません。

そもそも話自体を聞くつもりがなくて、いきなり適用の場面からスタートしようとします。

つまり「やり方」を「教えて」という姿勢です。

 何とかやり方を知ることができたとしても、当然のことながらその意味をつかんでいませんので、応用は効かないということになります。
 こういうタイプについては、必ず適用がすぐにわからなくなるので、遠回りですがそこでやり方や考え方をもう一度勉強し直してもらうという対応になります。

「最初からよく聞いておけば楽なのに」と思ったりします。

とにかく覚えようとするタイプ

 次によく見かけるのが、一生懸命聞いているように見えて、実は説明されていることの観察が不十分過ぎるタイプです。

上の例で言えば A=B ならば A+C=B+C ということの「意味」を理解しようとするのではなく、ノートに一生懸命書き込んで、それ自体を最初から「覚えよう」とするのです。

これが今回冒頭で登場した生徒です。

 お分かりだと思いますが、この公式は方程式の問題を解くために示された「考え方」を説明する公式です。だからAやBと言うものが実際に問題に登場することはなく、その考え方を使う場面が登場するに過ぎません。

それを一生懸命暗記しても意味がないのです。考え方を理解することが重要なのですが、それを飛ばしてしまうのです。

最初のタイプの生徒と同様、何とか問題は解けても「理解」していないので、応用は効かないということになります。

どうやって改善したか。


 すぐに「覚えよう」とする生徒というのは予想以上に多くいます。元々「理解する」「考える」という事の効用をよく知らない場合がほとんどです。
極端な生徒だと数学の数字の答えさえ暗記しようとする者もいます。全く意味のない行為ですが、「覚える=勉強」という意識が強くなりすぎてしまっているのだと思います。
 小学校の学習で「漢字ドリル」やパターンのみひたすら覚える「計算ドリル」のような学習ばかりを学習だと思って中心にやってしまっていたりするとこういう意識になりやすいです。

 また、中学校の課題において「漢字」「英単語」をひたすら書かせて、たくさん書いたら「優」をつけるというような「作業暗記偏重」型の指導を強調して行われている学校では、割と見かけるタイプの生徒のように感じます。
 このような生徒については「学習(学ぶ)」のイメージを変えてもらうことが重要です。
この生徒の場合には、暗記の答えとして吐き出すということをやめさせて、新しい単元が出てくるごと「この公式の意味を説明して」とか「どういう問題が出てきたら使うの?指さしてみて」というように「公式の意味」を徹底して確認するようにしました。

 最初は驚くほど「意味」がわかりませんでした。「意味」を知ろうとすること自体していなかったのです。説明うんぬんより中身がまったくわからないまま文字を暗記していたことがわかったのです。

 だからこのやり方に変えてからも、実際に状況が改善するまではかなり時間がかかりました。ともすると暗記にすぐ走ってしまいました。でもそんなときには「どういう意味?」と聞くことで少しづつ意味を理解することの大切さをわかるようになってきました。
テストの得点はなだらかながらも上向きの曲線を描き始めました。意識が変わるにつれて成績は上がっていったのです。

 何よりもこの生徒が中学を卒業する時に「先生のおかげで勉強が暗記じゃないってわかった」と言ってくれたのが、本当にうれしかったのを覚えています。

学ぶの読み方「まねぶ」

 学ぶは普通「まなぶ」と読みますが、実はもう一つ読み方があります。それは「まねぶ」です。

この「学ぶ(まなぶ)」と「学ぶ(まねぶ)」は同語源とされています。厳密には「学ぶ」という同じ漢字を使ってはいますが違う言葉ということのようです。

文法的な考察はさておき、私たちのいつも使う「学ぶ(まなぶ)」の元に「まねをする」という意味があることは間違いがありません。そもそも学ぶということは、何かお手本があってそれを模倣して自分の中に吸収していくことだからです。

 そういう「学び」の過程で、人により定着がうまくいく人といかない人が生じるのは、簡単に言えば観察をしっかりしていないからではないかと思います。
学ぶ(まなぶ・まねぶ)」ためには、その対象の事柄を「十分に観察する」ということが不可欠です。
まねをするのですから当たり前ですが、うまく行かない生徒の場合には、いわゆる「ものまね」のように形だけ全く同じにすればうまく行くと思っている場合が多いのではないかと思います。

 たとえば野球のバッティングフォームのように、上手なバッターのフォームを研究してまねる場合に、「なぜ彼はよく当たるのか」という事を考えてその部分を取り入れるのと、そうではなく一から十まで全く同じ形にするのとでは、その時は違わなくても後に大きな違いが出てくることは明白です。

 なぜその形になっているのかという理論や自分の体形や癖とあったフォームなのかなど、いろいろ考えるべき要素が絡み合って初めてヒットが出るので、形の完全な同一性に意味があるわけではないからです。

だから、とにかく「学ぶ」時には虚心坦懐にその対象をよく観察するという姿勢、もう少しわかりやすく言えば、

 対象を「研究」するくらいの姿勢で、とにかくじっくり「見て」「考えて」「味わって」内容をつかむということがとても重要だと思います。

そういう過程を飛び越して、すぐに「覚える作業に入る」ことや、すぐに「問題に適用する」ことは、むしろ有害でさえあります。

まずじっくり「吟味して意味を知る」ことが何よりも大切なのです。

 結局大きな目で見たときに結果が出てくるのは、そういう新しい情報のつかみ方を上手に構築することができた生徒なのだと思います。

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