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愛の対象、科学の思想から展開

前に書き込み:外国人である僕はここで日本語力を鍛えたいので、怪しい表現があれば指摘してお願いしますね。

愛は多数の人類が持っている感情であり、その表現は人によって違っています。愛は感情の範囲で、科学の範囲ではありません。ですが、科学の思想は愛にある程度の指導意義があります。本文は科学思想から愛の表現を検討します。

科学の思想

”現実を受ける”とは科学や技術の基本です。もし現実は予想と違いになったら、必ず自分のミスや論理の不足の原因だと思うでしょう。もし誰が”現実は間違ってる!私の論理は必ず正確だ!”と思ったら、この人はきっと科学者になれないでしょう。

現実とイメージ

人間は現実を理解する方法は現実にあるものから自分の脳内イメージを作ることです。科学の研究は現実の現象からイメージに論理モデリングを作ることです。現実とイメージの違いがあったら、”現実を受けてイメージを修正する”となります。

愛の表現

愛の話は普段感性のことですが、理性の科学と関係ないみたいです。ですが、愛の表現は理性的に考えなければならないです。人間は現実の物の理解方法はイメージで作るゆえ、他人や家族の理解方法もほぼ同じでしょう。他人の理解する方法も現実の人から自分の脳内イメージを作って理解する。愛の対象は2つに分裂します。脳内イメージに愛するか、現実の人に愛するかとこのような選択肢になります。

もし現実とイメージが違いだったら、イメージに愛する人は現実の人に叱るでしょう。現実の人に愛する人は現実の人に交流し、自分のイメージを修正することでしょう。そのため、科学の思想の指導意義は”現実に受ける”です。現実の人に愛し、イメージの方を修正することが賢明です。

僕の母国では、イメージを愛するという選択している人が多いです。親が子供の脳内イメージを愛し、子供を親のイメージの様子に教育することです。子供に一言でも褒めない、親のイメージに違いがあれば即叱り、子供に自由を与えないとなります。その結果、青少年のうつ病の発生率と自殺率が世界中に高いです。それは科学の指導の真逆方を選ぶ結果でしょう。


日本の人々の考えはどうですか、良ければ気軽く話し合おう。


#夏の自由研究

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