拙者(Wiz.)の自己紹介

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拙者の事をご存じない方も多いかと思いますので、軽く自己紹介します。
(※興味ない方はすっ飛ばしてください)

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本職(※2022/3時点)

ざっくり言えばプログラマです。 かれこれ20年以上やってます。
最初は業務用ネットワーク系機器の組み込み屋さんから初めて、その後Web/業務アプリ系のお仕事もやったり。 近年はまた違う分野のプログラムをやってます。 IT屋だった頃は「SE (System Engineer)」という呼ばれ方をしてましたが(※若干マネージもやりましたが肌に合わなかった)、今はだいたい専業プログラマでございます。(…のはずなんだけど、たまに解析とかデバッグとか色々やってる気もする)

昔、慶野由利子先生(※ゼビウスやドラゴンバスター等の楽曲を制作された、元ナムコにして初のゲーム音楽専門職という凄い方)から

「SE…効果音ですか!?

と即答されたのは懐かしい思い出でございますw
(※そちらのSEではありません…)

最初の十数年(2社目まで)は組み込み専門で、主に業務用ネットワーク機器を作ってました。(プロトコルや伝送寄りではなく、メイン基板の多重化など、CPU寄りのほうが多かった気がする)

3社目では、組み込みのお仕事はほぼ無く、Windowsのデスクトップアプリや、たまーにWebアプリも作ったりしてました。

いま、4社目にて某プロジェクトのプログラムとか色々やってます。

…さて、本職の話はこれくらいにして、趣味の話でもしましょうか。

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幼少期(~小学生)

記憶にある、最初にハマった音楽は、NHK「みんなのうた」で流れていた「ぼくらは三つ子の男の子」という曲でした。 同時期には、名曲「赤鬼と青鬼のタンゴ」「だるまさんがころんだ」等々、現在でも有名な曲が色々あるんですが(このへんももちろん好き)、拙者が一番興味を持ったのがこの曲でした。 確か、レコードからダビングしたテープを一日中聴いてた記憶。 拙者の記憶にある「生まれて初めて『音楽にハマる』経験」がコレです。 やたらと♭や#が付いている曲が好きなのは、間違いなくこの曲の影響だと思いますw

小学生の頃は、親の方針で音楽教育指向が強かったのか、ヤマハ音楽教室でエレクトーンを習っていたのは覚えてます。 ただ、正直なところ、宿題ばっかで授業自体は面白いと感じたことはほぼありませんでした。

面白いな…と感じたのは、高学年になって入った小学校のファンファーレバンド(吹奏楽部みたいなもの)での演奏でしょうか。 うちの親父がやっすいプラ菅のクラリネット(※クラリネットの材質は普通木材なんですが、初心者用のやっすいやつはプラスチックで出来てる)を吹いてました。 譜面の読み方はここで覚えました…が、単音楽器なので当然コードネームなんてものは無く、学習の機会を逸したまま今に至る…という感じです。

この頃、もう1つ今に繋がる重要な出来事がありました。 仲良くしていただいていた隣人の方がMSX(知る人ぞ知る富士通のFM-X!)を購入し、たまーに家にお邪魔してゲーム(コナミのわんぱくアスレチックとか)で遊んだり、雑誌やムックのプログラムリストを打ち込んだりしてました。 結局、この時の経験が全部今に繋がってるんですねー。

たぶん、ゲームミュージックの存在を意識し始めたのもこの頃かと思います。 サントラが買えるほどのお小遣いはありませんでしたが、デパ屋のゲームコーナーで、マッピーやギャプラスあたりの音色やフレーズが耳に残っていたのは未だに憶えてます。

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中学時代

入学当初は吹奏楽部でクラリネットを吹いていた拙者ですが、成績が落ちたという理由で退部させられ、以後は学問に励むことになります。(※表向きは)

この頃、拙者の人生において重要な局面が訪れます。 1つは、通称「ヴェノム師匠」との出会いです。(※彼の顔がグラディウス2に出てくる悪役「ヴェノム」に似ていたw) 彼はMSXのゲームを多数所有しており、ある程度プログラムにも精通していました。(雑誌に投稿してボツったようですが、ほぼハンドアセンブルでゲームを作れてしまう程度には詳しかった) 当然のなりゆきで、彼の家に入り浸るようになります。

もう1つは、ベーマガVGMコーナーとの出会いです。 ベーマガ自体は1985年頃から一時期読んでたものの、一旦は断読。 しかし、1988年頃から再び買い始めます。 この頃には「VGMプログラムコーナー」という、手持ちのPCでゲームミュージックを聴くための投稿プログラムリストが掲載されていました。 当時はMSXのVGMプログラムも掲載されており、特に「シルフィード」のエンディングテーマ「A-JAX」のCROSS POINT(だったかな?)に感銘を受けました。 「MSXって3音しか出ないはずなのに、なんでこんな曲が作れるんだ!」と、えらく感動しまして。

…んで、以後MSXのPSGを使ったゲームミュージックコピー・アレンジにハマるわけですが、何を血迷ったか最初に始めたのが「当時MSX界隈のVGMプログラムで流行ってた、タイマ割込みでPSGに茶々を入れるプログラムの解析」でした。(ここで技術指導を受けたのが前述の「ヴェノム」氏だったので、未だに「師匠」と呼んでいるのです) 彼からは、逆アセンブルと同時に、ハンドアセンブルでプログラムを組む方法も教えてもらいました。

まずは、デチューン(※当時は「コーラス効果」と呼んでいた)の実現方法と、シンセタムの作り方(※ピッチベンドでPSGの音程レジスタを時間変化させる)を学び、シルフィードの曲にデチューンを仕込むところから始めました。 これがとにかく美しい出来で、「これなら自作曲にも色々仕込めそうだ」ということで、ここから拙者のChiptune(と今は呼ばれるもの)歴が始まるわけです。(厳密には、他に親戚から戴いた壊れた日立S1(および、付随しているベーシックマスターレベル3マーク5モードのBEEP音)操作を平行してやっていたのですが、記憶が曖昧なので割愛)

この頃は、曲を作るのと並行して、PSGに茶々を入れるタイマ割込みプログラムのバージョンアップをひたすらやってました。 最終的には汎用ルーチン化して、MSX-BASIC上でドラムセット5種+オートデチューン+疑似ソフトエンベロープ+ピッチベンドまで実装したんじゃなかったっけ…確か。

余談ですが、この時に拙者の心を動かしたシルフィードのエンディング曲プログラムを投稿したのは、HAL研究所の元社長だとつい最近知って驚いた次第です…!(大学の頃、昔このプログラムに感銘を受けて~というくだりをホームページに書いていたところ、ご本人から「先日HAL研に入社しまして」というメールを戴いた事があったのですが、まさか社長にまでなられていたとは…)

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高校時代

相変わらず、親には隠密でゲームミュージックのプログラム活動をやっていたのですが、そこの高校には「コンピュータ部」(通称「コン部」)があり、音楽系部員も多かったことから、いつの間にかそこに出入りするようになります。 この頃は、PSGに加えて、ベーマガに掲載されていたSCC音源ドライバ「サウンド君」を使い、SCCを使った曲作りにも挑戦していました。 その頃はSCC音色づくりのノウハウが全く無く、(今では冗談みたいな話ですが)1mm方眼ノートを買ってきて、適当な図形を描いては片っ端から手動でデータ化し、鳴らして音色を作ってました。

もう1つ大きかったのが、部室にX1turbo(+NEW FM音源ドライバ)が常備されており、遺されたフロッピーに歴代部員が腕を奮った各種音楽データが残っていたこと…! というわけで、MSXでの音楽活動と並行して、OPMを使った音楽(ゲームミュージックのコピー・アレンジ)もやっていたのでした。 FM音源の音色のいじり方は実質ここで覚えたといっても過言ではありません。

当時は内輪で色々な企画をやってて、今でも覚えてるのが「オケヒ音色選手権」ですw OPMだけですんげぇオケヒ音色を作った人の勝ち!というやつ。 拙者も1週間掛けて、OPM独自のDT2とかも駆使しつつ、かなりの自信作を作ったりしたのでした。(…が、残念ながらその時のデータが手元に現存せず。 もし、宮崎西高校コン部関係者でデータをお持ちの方が居れば、拙者までご連絡ください!

他には、自宅X68000使いの物凄い先輩が居て(卒業後、東大あたりに行ったはず)、自作?のCSM音声合成ソフトを使って、X68KでPCM音色からコンバートしたタムとハンドクラップの音色を聴いた時は、あまりのリアルさにひっくり返った憶えがあります。(たぶん、今聴いてもひっくり返ると思う)

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大学時代

入学初期は、しばらくChiptune(と今は呼ばれるもの)から若干距離を置いてました。 メインは大学の交響楽団でクラリネットを吹く事。 たまーに思い出してMSXで曲を作ったりもしてました。

転機が訪れたのはその後の話です。 遊び過ぎて単位が足りずに留年し、更に翌年も自分を見失って大学に行かず、二留が決定w 一旦、実家に戻って翌年の復帰までバイトしてました。 その頃、うちの弟が「高専で使うから」という理由で98canbeを買ってもらってまして。 canbeはOPNA+PCM(86ボード相当?)が付いており、それを使って当時売っていたFMP the Music Blast」という本の付録ディスクを聴いたら、もーそれは衝撃でして。 PPZ8を使った多重PCM、OPNAのステレオ感…正直、市販ソフトでもなかなか耳に出来ないハイレベルの楽曲群が自作できることを知ってしまった拙者は、大学に戻った後、とにかくFMP4をいじりたくて色々と環境を揃え(これも紆余曲折あったんですが割愛)、地元の草の根BBSを見つけて投稿なんぞもしておりました。

そんなある日、そのBBSで「FMP Music Disk 5募集のお知らせ」というものを見つけてしまいます。 これが本格的にFMPにハマるきっかけだと思います。 vol.5の頃は締切まで時間が無く、MSXのPSGから移植した曲を投稿した記憶があるんですが、vol.6以降はFMP4の性能をフルに活かした楽曲群を制作するようになります。 平行して、学内Webサイトにホームページを作り、データを公開したりもしていた…気がします。 これらのディスクに投稿されていた楽曲にはハイレベルなものも多く、個人的にはとりわけ上野栞先生の作る楽曲群(カヴァー含む)に惹かれたのを憶えています。(FMP本でも印象に残る曲が多くて、名前は憶えていました)

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大学卒業~上京

連続留年というポカをカマしていたため、当時の国立大学の規定で「2年連続で進級しないと問答無用で除籍(強制退学扱い)」というのに怯えつつ、今の人生に繋がる転機がもう1つありました。

当時、ゲームミュージック愛好家が集まるポータルサイト的なWebページがありまして。 そこで、罰帝さん9624先生などと知り合います。 特にこのお二人には今もお世話になっているので、間違いなく人生の転機だと思います。

WebサイトではChiptuneによるゲームミュージックカヴァーをたまに公開してました。 2000年代前半にはとうとうファミコン音源がMMLで操作できる画期的なドライバ「MCK」(現:ppmck)が発表される等、いよいよChiptune界隈も盛り上がりを見せ始めた頃です。(ファミコン音楽のコンペティション「Famicompo」シリーズが始まったのもこの頃だと思います。 Famicompo は、後継の「pico4」までは毎回カヴァー部門に投稿し、1位を2度戴きました)

Chiptuneの局地的な盛り上がりとは裏腹に、当時はPC内蔵音源等を使ったゲームミュージックカヴァー等を発表する場が喪われつつある、と感じていました。 2000年代初期頃?(すみません…記憶が定かではありません)のJ〇SRACの粛清により、カヴァー曲をCD媒体・Webサイトで発表する人が減ってしまったこと、更にDTMが台頭し、FM音源やPSG音源等を使って曲を作る人自体が少なくなってしまった事が原因だと記憶しています。

個人的に、「この文化を無くしてしまうのは勿体ないので残したい」という想いから、同好の士を集めて「音楽CD媒体上で、ベーマガVGMプログラムコーナー的なものをやろう」として立ち上げたのが「FMPSG」です。

FMPSGは結構続きまして、2003年秋(※CD準備期間含む)~2020年3月まで、おかげさまでナンバリングで24枚+αのアルバムを出すことができました。 その間色々ありましたが、ここまで続けられたのは関わられた全ての皆様、および聴いてくださった皆様のおかげです。 ありがとうございます。

さて、ゲームミュージック関連に話を戻すと、先ほど出てきた罰帝さんが、結果的に拙者の人生を面白い方向に舵を切ってくれることになります。

最初は、そうだ、ゲームミュージックを聞こう!というムック本のお手伝いでした。(これが拙者の趣味方面における初商用案件でした)

その後、MCKがリリースされ、自作のファミコン曲を実機で鳴らす機材を作って使っていたところ、当時ファミコン20THアニバーサリーシリーズのCDをリリースしていたサイトロン社(のお手伝いをしていた罰さん)から「高難易度過ぎてゲームプレイでは録音できない曲がある。なんとかそちらの機材で鳴らせないか?」というご相談があり、以後(FC20th vol.2以降)しばらく、サイトロン社のレトロゲームミュージック収録系のお仕事の手伝いをすることになります。

このへんの人脈の繋がりから、「MSXマガジン永久保存版3」の一部執筆・インタビューお手伝いとか、罰さんの担当枠記事のお手伝いなんかもたまーにしてました。

その後は、色々あってサイトロン社自体が消滅してしまうのですが、その時の繋がり等々で、商用音楽CDでいくつかファミコン音源Chiptuneアレンジを担当させていただくことができました。

担当作品:
ファミソン8BIT STAGE2「すきすきソング」
HUDSON Premium Audio Collection 「迷宮組曲」
シューティング ラブ。200X 「8bit -Filtering Love mix-」
きく コロぱた 「ひのとりのテーマ」

この中で、「シューティング ラブ。200X」のアレンジが、ゲーム制作元のトライアングル・サービス藤野社長の目に留まったらしく、「サントラ発売記念サイン会&打ち上げ」(というイベントがあったのです)の場で、藤野社長から直々に「次のゲームの曲、作ってみない?」と打診があったんです!!

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ゲームの音屋に片足を踏み入れる(先っちょだけ)

拙者は音楽理論や知識も乏しく、ほぼ作曲もやった事無い状態だったので、その時横に居たSOU1せんせ(現switchworks)を一緒に誘い、「作曲をSOU1せんせにお願いして、拙者がアレンジをやる」という感じでした…最初は。

トラサビさん案件だったので、てっきりシューティングゲームかと思っていたのですが、ある日事務所に呼び出され、出向いた先で待っていたのが、後の「ペンゴ!」だったのです…! 「まずはプレイしてみてよ」というわけで、「ペンゴ!」の対戦プレイをその場に居た数名で2時間ほど堪能。 …めちゃくちゃ面白い! ひとしきり遊び倒した後、藤野社長から出た一言は、「じゃ、この曲作って。」だったのです…! ええっっ?? いきなりデビュー作が、セガの誰でも知ってる「あの」ペンゴの続編ですと? しかもpopcornじゃない曲で?? 軽くパニックになりました。

…とはいえ、ある意味千載一遇のチャンスでもあります。 最初は自身で作曲するつもりは無かったのですが(※これには大昔に体験したトラウマも理由の一つなんですが…その話は後日)、折角だから自分でも作曲してみたいな…と思い、とりあえず当時使ってた CASIO GZ-5 のキーボードを叩いて曲らしき何かを作るところから始めました。

紆余曲折、および楽曲コンセプティングやボツ曲等々を挟みつつ、「ペンゴ!」の楽曲は2曲無事納品。 ところが、諸々の理由で発表が遅れ、「お蔵入りか?」と思われた2014年、ゲーセン ラブ。~プラス ペンゴ!~として無事世に出ました。 おかげ様で、直後に発売されたサントラにも拙曲が収録されています。(ゲームのほうは、XBOX360版・Steam版(※ペンゴ!は未収録)を経て、2019年にNintendoSwitch版も出ました! AC/XBOX360版では実現不可能だった、ペンゴ!8人同時対戦もできます)

更に、「ペンゴ!」の最新版「ペンゴ!オンライン」(※2021年4月現在、APM3筐体で絶賛稼働中。オンラインで全国のプレイヤーと最大8人同時対戦可能)でも、新曲2曲を提供させて戴きました。

他に、トラサビさん案件ですと、その前に出たゲームのPV曲「カルボナーラ ラブ。」の作編曲も行いました。

商用ゲーム以外ですと、海外の同人ゲームキャラバンブーマーに1曲提供(こちらはサントラが出てます!)、他に近々リリース予定の同人ゲーム「SPACE TONJIRU」にも1曲収録予定です。

あと、今の会社でプログラムずっとしてた例のものが、やっと2023年3月上旬に出ました!(買ってね)

…というのが、2022年3月上旬現在の状況です。
(途中、色々割愛した部分もありそうですがご容赦ください)

こんな拙者ですが、どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。

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