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日付短編小説 2024/06/12  恋人の日 児童労働反対 第三話

 中年の男の指示で逃げようと彼ら、しかしその足を止める一人の若人。
 その男は手ぶらで不審者共の服の襟を掴んで、真っ直ぐ中年の男の方へ向かってくる。
 よく観察すれば、何となくイケメンにも見えてくる。

「今すぐ彼女を解放しろ。そうすれば警察に通報しねぇから」
「……若者がでしゃばるとはいい度胸だ」
「アンタも俺から逃げた度胸、褒めてやるよ」
「チッ、舐めた口を言いおって」

 私は劇的な展開に口を抑えるほど言葉が出てこなかった。
 後輩のストーカーを懲らしめて、私までも救いの手を伸べる。
 こんなドラマのような展開が現実になるとは思いもしなかった。

「小僧、名前は?」
「田辺翔平(たなべしょうへい)。それが俺の名前だ」

 誰だ?その男の素性も分からず、目が点になってしまう。

「それで何でアンタは彼女を捕らえた?」
「愚問だ。彼女の客に対する対応で、体中が痒くなるほど頭にきたからだよ」

 私のあの対応だけで?たったそれだけで後輩の自尊心を壊そうとしたのか。

「へぇ……だが、傍から見れば彼女の方が正しいと思うが?」
「なっ⁉私が間違っていると言いたいのか?」
「もちろんだ。お前は新人のバイト社員を責めすぎたんだよ」

 後輩のことを庇う彼。表向きでは余裕だが、裏では油断大敵な真剣な目をしている気がした。
 そう、汚い大人から手を差し伸べる希望の男。その彼の名は私にも分からない赤の他人だ。
 そんな赤の他人が何故か私を助けるとは、いったい何者なのであろうか?

「私のコト知っているの?」
「……まぁ見ていろ」

 私は彼からそこで待っていろと言われて、頑丈そうで大きい背中を見せられる。
 その男の後ろ姿は姫様を守る勇敢な戦士。まさに儚い少女を助けた勇者そのものであった。

「お前ら、かかってこい。俺がひねり潰してやるよ」
「やろうっ……リーダー、どうします?」
「決まっているだろ?始末しろ」
「……了解」

 その指示で周囲に群がった彼の仲間は、私を救出した男を囲んでいた。
 そして私を窮地から助けた男の正体。それが分からずとも危険な状況をひっくり返した男の背中は大きく見えてくる。今でも彼は私にとって窮地から救った正義の味方なのだ。
 まぁ、それはさておき。そんな彼は一言こう話した。

「お前ら。今すぐ去るならここで痛い目に合わずに済むぞ」
「は?適当な事を言ってんじゃねぇ」
「何者か知らんが俺らを見くびるなよ?」
「「「そうだ、そうだっ‼」」」

 私を襲った取り巻き達は、救世主である男に批判の声を浴びせる。
 まさに油断大敵、どんな悲惨な結末があっても彼らを見くびった罪を背負う。
 チンピラ扱いした上に取り巻きを蔑んだ言葉。まさに今、後戻りができなくなった。
 しかし、彼の態度は何も変わっていない。

(既にピンチなのにあの余裕さ、彼は何者なの?)

 何か秘めた能力があるとは思えず、筋力も細々な体型である。
 そんな男一人でこの状況をひっくり返す戦略はあるのだろうか。

「あ、あの。逃げた方がいいですよ。私のせいで殺されるのは……その……」
「大丈夫だよ。勝てる策はある」
「……」
「ははっ、その信用ならないと言いたげな表情はなんだよ」

 当然である。誰であっても初対面の男に勝てる確証がないと思うのはおかしくない。
 私は疑いの目を向けて彼の目を見つめる。
 もはや後輩を捕らえられて余裕のない私の心境は複雑から不安になる。
 一方、変質者たちは『男、女。これは遊びがいがあるぜ』と騒ぎ始めてほくそ笑んでいる。
 控えめな性格だが出る所は出ている美少女、つまりは後輩に危険が迫っている。今すぐにでも不利な状況を覆したい。だから彼に声を掛ける。

「……私の後輩を助けられますか?」

 対して彼はこう答える。

「ああ、もちろんだ。俺がここにきた時点で分かるだろ?」

 彼、田辺翔平は私の片方の肩を叩き目線を合わせて微笑んでいる。
 その表情を見ると、思いもよらない逆転劇でも起こすのかと期待させるようである。

「じゃあ……警察を呼んで。明子」
「「「……明子?」」」

 しかし警察と他人の名前が出た瞬間、緊迫した空気が静けさに変わった。
 そのうえ男たちと私の声が同時に重なった奇跡が起きていた。

「お前、警察を呼ぶと言ったか?」
「ああ、一言一句間違えてない」

 冗談だろう、ここで警察を呼んだと馬鹿な発言をすれば、後輩に魔の手が差し出される。
 きっと未来が悪い方向に進んでしまった予知夢であろう。

「あのっ、私の後輩を見捨てるつもりですかっ‼警察を呼んだとか嘘ですよね?」
「いいや、本当だよ」

 彼は自信に満ち溢れた笑顔になり、私の叱責の言葉に対して解答する。
 何処からその自信があるのか。というか私の後輩の状態を見て興味がないのか?
 色々聞きたいこともあるが結論は出た。やはり彼はまったく信用に当たらない。

「冗談なら帰ってください。私が身代わりになります」

 これ以上付き合ってられるか。私は観念して中年の男の元へと向かった。
 しかし彼が私の腕を力強く握りしめてきた。
 そして一言。

「奴らの元に行くな。俺が何とかするって言っただろ?」

 彼は胸を張って私を助けると口にした。
 その男の背中はヒーローのような後ろ姿である。
 けれどもその反面、赤の他人である大人が彼の周囲に群がる。
 所詮、彼はただのホラ吹きであろう。簡単に何とかはできない。
 さっきのはただの威勢の強い出任せにすぎない。しかし今は彼の言葉を信用する他ないだろう。

「警察が来るまで持ちこたえる。その間にお前は逃げろ‼」
「……分かりました。死んでも知らないですからね?」
「大丈夫だ。電子端末に隠れ家の情報を送ったから確認してくれ」
「はい、ありがとうございます」

 そして私はただひたすらに逃げ足を動かした。


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