見出し画像

わたしの規則違反のはなし

小生きれいごとばかり言っても
叩けば
ホコリが3トンくらいは
舞い上がれ・・・って
ホコリは当然誇りですよ!

ちりあくたの芥は芥川のあくた?

小官の規則違反・・・


自衛隊法にはいわゆる
ジョセキ期間が(この場合も除斥で正解ですか?)
ないと思いますので・・・

過去の違反も処罰される・・・ひえー

1995年(平成7年)
阪神大震災が発災し小官は
生田警察署へむかい
そこで行方不明の情報のある
倒壊したアパートへ隊員
10名くらいのチームで救出へ
向かいました

1階は完全に倒壊し・・・2階は
辛うじて形がある程度のひどい状況
発災後まる1日経過しても
周囲は・・・・その光景を
あの日の神戸の街を忘れることは
一生できないと思います

なんとか要救助者を見つけましたが
残念ながら・・・
悲しいけれど・・・泣いている訳には
いかない
そんな時近所の商店のおじさんが
箱一杯のコーラとポテチ数袋を持参され
「あんたらなんも食ってないじゃろう」と
・・・・

おじさんはず・・・と
半日かかって青い作業服の集団が
ろくな道具もなしにアパートと格闘している
私たちを見ていたのでしょう

被災地で被災者からモノをいただく


そんなことは絶対にいけません
丁重にお断りしたのですが
おじさんは
「とにかくもらってくれんと
わしの気持ちがたたん」
の一点張り・・・
小官の上司がそれでは
「お菓子一袋とジュース人数分だけ
お借りします・・・落ち着いたら必ず
ご返却に参ります」と・・・
小官もコーラを一缶借用しました。

私の上官が咄嗟に


「借用と・・・その言葉に唸りました」
「若年の小官は・・・その方がいなれば
階級的には最先任者」
私にその言葉を考える余裕も判断もできませんでした。

皆さんお気づきだと思います。
「小官は借パクして・・・コーラを返却
できていません。」

その後神戸を離れ・・・
10年近く小官は神戸に戻れませんでした。

仕事以外なら・・・遊びに行くことは
可能だったのに・・・
神戸の街へ行くのが怖かった
というのが
臆病な小官の偽らざる心境です。

何度もクルマで阪神高速や山陽道などを
通過しても・・・
大阪や京都へは普通に遊びに行けるのに
「神戸」だけは・・・

段々と年齢があがり・・・

神戸の新明和・・・
水上飛行艇を作っている工場へ
どうしても仕事で
「青木」の駅へ降り立ったとき・・・

岡本の美容師さんと結婚した同僚が
駅まで送ってくれた・あと・・
10年ぶりに訪れた駅前は
あんまり変わっていませんでした
「阪神電車の新車が増えたくらい」

結局・・・カリパク継続中
返そうにも相手の方の名前も
わかりません・・・
場所は・・・

野暮用でとある放送局へ
いった時・・・少しだけ
息子と生田警察署の周りを
歩き・・・なんとなく面影は
あるけれどほとんど変わってしまった
街で・・・当時のはなしを
することはできませんでした。

神戸サウナの倒壊した周辺は・・・
新しい建物が多く
かつて存在した
文化住宅は見事に消滅して・・・

記憶の位置で合掌だけして
海沿いの用事がある場所へ向かいました

おかげさまで・・・

たいした成果は残せなかったけれど
カリパクもバレず
無事定年退官し・・・
関西へ行く機会は
遊び以外はなくなりました

息子の都合でときたま・・・
遊びに行くくらいです。

暑いあつい7月に
寒いさむい1月の話で恐縮ですが
神戸の話を書いていて・・・

思い出した記憶です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?