わたしと野田村vol.1
こんにちは。「野田村にICU旋風を吹き起こす会」です。初投稿ということでメンバーと野田村の出会いについて書いていきたいなと思います。
今回の第一弾はもうすぐ団体として三年目になるのだせんに初期から参加してるメンバーのお話です!
私と野田村の出会いは2022年の6月、大学2年生の夏だった。春学期が終わったすぐの夏休み。
わたしにとってのふるさとは宮崎だ。宮崎にいるおばあちゃんちに行くのが年に一回。お盆。いつも東京にはない(行かない)イオンモールに行って買い物したり、親せきと高いごはんに行ったり、先祖の迎え火をしたり。私の小さいころの夏の思い出は全部宮崎だった。私にとっての田舎はそこで、飛行機に乗らないといけないところで、お線香をあげて海に行って、夏休みの宿題をして。そんな場所だった。
それから受験や家族の仕事を理由に毎年はいかなくなった。そんな中、
ふるさとって言える場所、懐かしさを感じる場所が欲しかった時期に出会ったのが「のだせん」だった。
「おかえり」って「また来年待ってるね」って言ってもらえた安心感。
鍵っ子だった自分には土地の繋がりみたいなものを持つことが新鮮だった。
初めて夜行バスに乗って、東京から盛岡へ。早朝につき、朝からやってる盛岡冷麺を食べて盛岡を出発した。レンタカーを走らせて車で4時間。
岩手はきっと中学校の修学旅行ぶり。6月だけど東京より肌寒かった。
野田村の民宿で一緒に作ったくるみ餅、囲炉裏を囲みながら食事を頂く時間、汗流して担いだ夏祭りの山車。
毎回行く場所がある。特別な思いがある。歓迎してくれる。
海がある。日の出が何にも邪魔されずに見える場所。
お祭りが終わって寝っ転がった十府ヶ浦海岸。
すごく達成感に満ちていた。
お祭りの時におばあちゃんがくれた草履。サイズが小さいけれど今でも大事に玄関にしまってある。
そんなつながりが今思うと欲しかったんだなって思う。
同じ年代の友人と、20歳以上離れてる村の方々
なんか地元のつながりを懐かしく感じで心地よくさえ感じた。