昔から心配性すぎるくらいだった。夏休みの宿題も毎日ページを決めてやっているのに、なぜか焦って不安になって泣いてしまったのが小学一年の夏休みの宿題の思い出だった。なぜか人より心配しやすくてこんな自分が嫌だったけど、直すことはできなかった。高校生の頃、定期テストが来るたびにあり得ないくらい不安になったり、終わってもまたテストが来ることを考えてしまい暗くなった。私の心配性は人に理解してもらえたことがない。親は「粛々とやればいい」と言ってくる。「粛々とやる」という言葉を聞くたびになぜ
人生って挑戦して、失敗したらその責任は自分が取らなきゃいけない。自分で自分の責任を取るのがどれくらい辛いことか。その時の自由の重さをこれまで異常にないくらいに感じる。この重さに耐えられる人は強いに違いない。自分自身の足取りが重くなって、今一番生きている感覚がしない。
こんなありきたりな題名をつけたのは就活が迫っているからだと思う。いつの間にかあれよあれよと現実のことに目を向けてこなしているうちにやりたいことがわからなくなった。夢なんかどうでもいいのが本音で無理やり作り出したところで意味はないと感じている。本当は夢に気付きたくないだけなのかもしれない。気づいたら本気になっていつか現実を知るのが怖い。高校生の頃美大を目指してたけど自分の技術がいくらやっても上がらないことが苦しすぎて、2年余り続けた美術塾をやめてしまった。(絵の技術が上がらなか
人生って何のためににあるんだろう。そう考えることは無意味だとわかってるのに考えるたびに死にたくなる。でも死ねない。そう思えるうちは微かに人生に対して期待しているのかな。人生をどう生きるかは私次第なのに、何か外から強い変化を求めてる。社会とうまくやっていけるか。
昨日、部屋でボッーとしていたらベランダからコツコツブーンという音がした。かなり大きい虫がぶつかってきたみたいだ。カーテンを開けて覗くと大きい体に不釣り合いな細い羽をつけた奇妙な虫が窓ガラスにぶつかっていた。部屋の光に吸い寄せられたようだ。私は初めは蛾かと思い興味深く観察していた。そいつと窓ガラス越しに睨めっこしていた。虫は複眼というのを思い出し、虫から見て私はどう見えてるんだろうとぼんやり思った。虫の目が不気味に艶々と輝いていた。やはりこういう表情が読めないところも不気味さを
こんにちは。わたしは都内の大学に通っている大学生です。一人で暮らしていると独り言が積もっていき、ツイッターに自分の言葉を投稿し続ける日々が続いてなんだか少し寂しい日々を送っています。