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23_09_16 名前をつけるよ 涙にも全部

くるりの「THANK YOU MY GIRL」という曲が好きだ。
澤部さんが作る曲やソフトロックのような短くて強度のある曲を好きになったキッカケもこの曲なのかもしれないというくらい、コンパクトでなんとも切なさに満ち溢れたギターロックだ。(そういえば、幼稚園の頃からサザンの「ステレオ太陽族」という1分半しかない曲をヘビロテしていたという噂もあった。幼い頃から短い曲は好きなのかも)

この曲が好きになったのにはそれなりの理由があって、そもそも僕はこの曲が収録されている「THE WORLD IS MINE」というアルバムが好きなのだ。中3から高1にかけて、夜な夜なラジカセと安いヘッドフォンで聞いていたことを今でも鮮明に思い出せる。
世紀末からズルズルと引きずってきたやるせなさ、00年代の邦画特有のあの西日の差し込み方、くたびれながらどこへだって行けるなんて半ば本気で思う全能感。あの頃の感情(暗めの部分)のおおよそはこのアルバムに詰まってるんじゃないかと思っている。

どこか非現実的なムードを通底させているこのアルバムだが、10曲目の「男の子と女の子」ではまさに「00年代の西日」が差し込む。この「00年代の西日」というのは具体的に言えば「男の子と女の子」のPVの感じであり、「ジョゼと虎と魚たち」の乳母車を走らせるあのシーンであり、「誰も知らない」の電車に揺られるシーンだ(あれは朝日だが)。
これまで巡ってきたすこし不思議な世界の旅もひと段落つき、あらゆる世界の片隅に日が当たり出すと、「THANK YOU MY GIRL」が流れ出す。誰だって弾けるようなストローク、口ずさみやすいメロディ、「今すぐ笑って すぐ会いにいくよ」なんてこれまでになかったような勇敢な言葉。11曲目にしてようやく少しだけ前を向いたような、一歩踏み出す心構えができたような、そんな曲だ。しかし、それと同時にこの曲は、「THE WORLD IS MINE」もいよいよ最終章だという意味も持っている。

終わってほしくない。旅は続いてほしい。そう願っているのに、このギターの音を聞いてしまえば、アルバムの終わりが近いことを予感してしまって切なくなる。さよなら言わなきゃいけないのに。

中学を卒業して疎遠になってしまう人たち、高校への不信感、思春期の不安が募っていく夜に、薄暗い部屋でこのアルバムの世界を思うことが当時の僕にとってなによりの救いだった。






5月にくるりのライブに行った。アンコールの一曲目は「THANK YOU MY GIRL」だった。
イントロの響きは、あの頃膝を抱えてた僕を肯定してくれたようで、少し泣いてしまった。 
いつだって素直になりたいんだ、本当は。

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