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見えない部分は敢えて見えなくていい。

『目に見えるものは見えないもので出来ている。』のタイトルで、この前は記事を書きました。

目に見えない部分にスポットライトを当てたほうがいい場合もあるけれど、敢えて見えない部分を見ようとせずに、見えないままにしたほうがいい場合もある。


何故、そんなことを思ったのか?

目に見えてない部分に気がついてほしい人もいれば、目に見えない部分はわざと見えないふりをして生きている人にとっては、見えないままにしておいたほうがよい場合もあると思ったからです。

見えない部分がもし辛いことであったとしたら、その辛さをわかってほしい人もいれば、敢えて過去の辛さを見て見ぬふりをしていたほうがその人にとっては楽だと思う人もいる。


〜砂に埋めた過去はそのままでいいの。〜
今井美樹さんの歌の歌詞にそういう部分がありました。

『このことは墓場まで持っていくわ。』
という人の言葉も思い出しました。



私にとっても、過去に嫌な思いを引き摺って、暗闇の中を歩いていたこともありました。

でも、いつしか友人や親、兄弟、新しい家族などと接するうちに心が癒やされていって、そのことはもう見なくていいやと、思えるようになったような気がします。

そうですね。
人によっては、分かってほしいという気持ちを強く持っている人もいれば、あえて本人が見て見ぬふりをしているところを詮索したり、浮き彫りにされるのが辛くなる人もいる。
そんな風に思います。

それは、お互いに触れたほうがよいか、触れないほうがよいかに気がついていれば、うまくいくこともあります。

人と人は、ハリネズミのようにぶつかっては痛くなった時に、どれくらいの距離でいたら傷つかないで済むのか、少しずつ歩み寄ったり離れたりしながら、丁度いいところを掴んでいけばいいのではないかと思います。

お互いの気持ちや感情のすれ違いは、対話や会話で埋めていけるといいな。

ふと、そんなことを思いました。








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