がんばらなくていい。
がんばろう!
という言葉。
響きが、以前はとても良いことだと思っていました。
最近、バスケットボール男子が世界選手権で見事にパリ五輪の切符を手にしましたね。
とても格好良かったし、凄いプレーも続々と見られました。
感動しました✨!
あの試合の数々を見ていると、昭和の頃、バレーボールが日本は世界で強豪として知られていた時代を思い出しました。
チームと応援席が一体になって、日本チャチャチャという言葉がとても有名な文句でしたが、団結力の象徴みたいな、子どもの頃に日本て良い国だなぁとスポーツ観戦をしてはよく思っていました。
あのような世界では、スポーツ根性というか、本当に死にものぐるいに頑張っている選手たちを見て、感動するということがとてもあります。
でも一方で、人はがんばらなくていい、とも思います。
わたし自身もがんばりが利くうちは、がんばることが美徳であると思っていました。
でも、がんばり過ぎたせいで、心身ともにバランス崩して入院した経験を経てからは、俄然、がんばることがいい、とは言えないものだと考え方が180°変化しました。
よく最近は、色々な場面で
「頑張りすぎないでね。」
という言葉が行き交うことが増えてきて、安心しています。
それは、がんばりすぎる気質というか、がんばることが美徳だという考え方があった、以前の日本人から学んだ考え方なのかもしれませんね。
わたしたちは、バブル崩壊直後に新卒入社した世代で、その頃はまだ働き盛りの人は過労死の問題とか、燃え尽き症候群とか、よくある話でした。
ちょうど、わたしたちの世代が20代〜30代では、女性も男性と同じように総合職で働ける、また昇進の機会も女性にも以前よりは増えてきた頃で、男性と同様に働かなければならないプレッシャーに押しつぶされた人が、何人も知人の中にいました。
ごく一部の女性が、育児や出産を経てもずっと総合職で頑張ってきました。
それはその人の努力であったり、体力ももちろん必要であったに違いないでしょう。
また、健康を害しても尚も復帰してがんばっている人もいると思います。
ですが、一方では、頑張りすぎて身体を壊してから無理が利かなくなった人もいます。
そういう人は、もちろん色々なタイプの人がいることでしょうが、自分に厳しくて、自分がやりきれないことにとても苛立ったり、悔しくてしょうがないとか、負けず嫌いな方も多くいます。
だからこそ、
「自分にやさしく、そして、がんばらなくていい。」
そんな言葉が必要なのだと思うのです。
頑張りすぎて折れてしまった…
そういう人は世の中に数え切れないほどいます。
そういう人にこそ、
「がんばらなくていいよ。」
「自分に厳しくしないで、もっとやさしくしてあげていいんだよ。」
という言葉は、その後生きることにあたり大変有益に働くのだと思います。
頑張りすぎて、身体を壊しては元も子もない。なぜなら、がんばりが利かない身体になってしまうこともあるから。
がんばりすぎず、程々に自分ができることを銘々にやっていくことが一番望ましいのではないでしょうか。
就職口が見つからない人もいると思います。
できることから少しずつ始めてみるのもいいと思います。
わたしもそうしたいと思っています。
いきなり跳び箱を跳んたことがない人が、最初から8段跳ぼうとしてもかなり厳しいお話です。
やはり4段とか5段とかから始めて、徐々に高い段が跳べるように練習しますよね。
最初から険しいことをしようとしても挫折感を味わうことになるので、少しずつ簡単なことからスタートを...。
もし仮に、途中で心身の状態を崩してしまった人にも同じことがいえると思います。
怪我したときのリハビリに似ていますよね。
「がんばることが美徳。」
確かに、がんばっている人をみると勇気をもらえたり、ああいうふうになれたらいいなと、憧れたりします。
でも、急に運動してアキレス腱切らないように、少しずつウォーミングアップして、取り組んでいくこと。
また、人ができることを自分ができなくても、自分を悲観しなくてもいいと思います。
「自分らしく生きる。」
それだけで、とても素晴らしいことなのだから。
「人と同じようにできなくたっていい。」
自分のいいところをなるべく見つけて、自分らしく生きていけばいいのだから。
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