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理由付けをして、できないことだと納得したかった。

30代前半くらい、結婚していない自分は社会不適合者だと思っていた。

帰宅時に電車に乗って座ると向かいに座ってる列を左から右へと見て、左手薬指に指輪をしているかいないかを確認する。
だいたい1列に7人座れる席に半分以上指輪をしているときは、これが現実ですよ、普通になれてませんよ私!と。
飛び降りて死にたくなるほど落ちこむのに、翌日も向かいの席を左から右へと確認していた。
今思うとものものすごく人の手を見ていたんだと思う。
どんな趣味だよ!!!

自分が大多数に入れていないという、
恐怖心とも不安とも少し違う感情、
ただ一般的、ふつう、みんなと一緒でありたいのになんで外れるの、
という焦りに近いと思う。

自分でも理解している。
何の意味があるんだ?と。
なぜ辞めれないのか、それは社会不適合者だと思った方が結婚できていない理由がはっきりして楽だったからだと思う。
なぜ普通にできないんだろう?の呪縛から、普通じゃないからできないんだ、と言い聞かせた方が納得がいく。
普通から外れていることを認めたくない気持ちもあるが、病名がつけられた方が納得する、そんな感じだと思う。
そもそも答えなんてないものに悩んだところで解決せずで闇に落ちてしまうから、名をつけたかったんだと思う。

そんな私を少しずつ救ってくれたのはたくさんの本とジェーン・スーさんである。
特にスーさんのお悩み相談を毎日聞いてたら、自分だけじゃない、社会の呪いなのかも、って考えるようになった。
いまだに、自分は自分!人様は人様!とはスパッと切り離せないけど、人の悩みをバサバサ答えてくれる人生の先輩の視点はとても効果的だった。

もともと話を聞くのは好きで、会社でもメンターになったり、後輩の公私の相談もよく聞いていた。
しかし相談相手には、色んな人がいるからもっと視野を広げて焦らないで、といっちょ前に言うのに、自分には厳しく当たる。
これまた良く見かける言葉だけど、他人には優しくできるのに自分には優しくできない。
相談と回答をセットで聞きまくったおかげで、みんな同じことで悩んでいるんだな、自分含め仲間じゃないか!!と気づけた。

どうすればもっと自分を大事にできるのか。
自分自身への強い信頼関係が必要だと思った。
何があっても大丈夫、なんとかなる、だって私だもん、である。
これがなかなかできない。
流行りの自己肯定感ってやつである。

自己肯定感上げるってなんだよ、
自分を受け入れようっておいおいナルシストかよ、
自分大好き人間みたいな人は理想像じゃないんですけど、
って思っていた。
しかしこのままでは変わらない。
明日人生に幕を、と簡単にはいかないわけで、生きていかなくてはいけない、いやでも。
死にたくてもそう簡単に死ねないのが人間界。

私の場合、自分が好きだ!と毎日鏡越しに言うとか、絶対続かないと思ったので、
これまで遠慮して相手に言わなかったことを試しに言ってみることから始めた。
試しに、ダメなら戻せば良いし、が自分を動かすためにちょうど良い言葉だった。

何か大きく変わったかと言われればわからないけれど、
少なくても友達は正直な感情を言っても離れていかないし、
もちろん言い方には配慮が必要だけれど、
私のことを若干粗末に扱ってたやつらは逆に気を遣ってくれるようになったりもした。
この話はまた別でnoteに整理しようと思う。




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