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懸賞生活22年、当選企業数812社!ここまでの道のりとラクに楽しく当選するコツ〜懸賞人生編前半〜

1 はじめに

皆さま、初めまして。
「むうよね」と申します。

さて、タイトルでおわかりの通り、私は懸賞(抽選会も含みます)が大好きです。
本格的な懸賞生活を始めたのが2001年の9月ですので、もう22年以上も懸賞と共に生きていることになります。

私は1社1回懸賞当選、合計1000社を目指して22年間懸賞に励んできました。
2023年10月現在当選778社、年齢は55歳です。生きているうちに達成したいです!

ここでは、今までの私の懸賞人生や、懸賞生活の楽しみ方、経験に基づく当選確率が上がる方法などをお話していきたいと思います。

第2章〜12章  懸賞人生編前半
第13章〜23章 私の懸賞経験&こだわり編
第24章〜38章 懸賞当選のコツ伝授編
第39章〜44章 懸賞人生編後半
第45章  懸賞当選企業一覧表

このような内容でお送りしたいと思っています。よろしければお付き合いください。

2 懸賞生活を始めるまで

私は1968年生まれ、元々オトクなことが大好きな子供でした。

コツコツ真面目に勉強や練習をするのが好きな一方で、「ラクして得する」ことも大好きで、高校生になると読んでいる雑誌の読者プレゼント企画に応募ハガキを送ったりしていました。

当時読んでいた少女漫画の雑誌の懸賞でコートを当てたり、プロ野球も大好きなのでロッテ(当時はオリオンズ)の企画で当時の稲尾監督のサインを当てたりして楽しんでいました。


高校生の時の私。懸賞で当選したコートを着て

が、群馬県出身の私は大学入学と共に上京し、バブル時代の楽しく忙しい大学生活に慣れていくと次第に懸賞のことは忘れていきました。卒業後は実家に戻らず東京で就職し、2年後に会社の先輩と結婚、というここまでは普通の生活を歩んでいました。


3 懸賞生活への心の準備

結婚はしましたが、当時普通でなかったことは、旦那さんになった人が結婚当時会社を休職して大学院に通っていたことでした。
私が結婚した1993年頃の女性は結婚、または妊娠を機に退職するというのがスタンダードでした。
私は結婚と同時に証券会社の営業から銀行の本社事務の契約社員に転職をしていました。が、すぐ妊娠してしまい、迷いましたが収入がないと困るため当時の規定の産後8週間の休暇をいただいて職場復帰しました。

会社の更衣室のソファで休んでいるとき、ソファの上に雑誌が置かれているのを見つけました。
雑誌名ははっきりとは覚えていませんが、中には懸賞で当選した図書券などを家計の足しにしている方の密着取材の記事がありました。
いずれ専業主婦になるだろうと思っていた私は「こういう収入の得方もあるんだな」と感心して楽しく読みました。

そして主人の大学院卒業と同時に退職し、専業主婦となりました。

4 懸賞生活開始のきっかけ

専業主婦にはなりましたが、家には当時1歳の娘がいて、自由な時間を確保することはなかなかできませんでした。

たまに自由な時間があっても、休んだり好きなテレビや雑誌を見たりするだけで、懸賞のことは全く頭の中にありませんでした。

娘が幼稚園に入園した2ヶ月後に息子を出産しました。

忙しくも楽しい育児生活でしたが、時は流れ、息子も3歳になり、幼稚園に入園し、平日昼間は家事をこなしても少しは自由な時間を作ることができるようになりました。

私が働かなくても最低限の生活はできたのですが、やはり自分のお小遣いや貯蓄を得たいなと、パートに出ることを考えました。

が、主人に「働いても家事を完璧にこなすことと、自分が家にいる平日18時以降と土日は必ず家にいること」という条件をだされ、例外を許さない主人の性格を考慮すると自信がもてず、外に働きに出ることを諦めました。

最初は好きな手芸をしていましたが、2001年当時はまだネットで一般の人が販売できるサイトなどはなく、作ったものはフリーマーケットで売るかバザーに寄付したりするくらいしかできませんでした。日曜日は主人が休みのため、フリーマーケットに参加することはできませんでした。主人は自分の興味がないことには参加してくれない人でした。

内職もノルマがあり、子供が病気になったりした時のことを考えると、無理だな、と。

そこで思い出したのが、以前会社の更衣室で読んだ記事でした。

5 懸賞生活開始許可

懸賞で図書券や食料をGETしている主婦の記事を思い出し、本屋に出向いて同じ雑誌を買って主婦の節約生活の記事を熟読しました。
当時の懸賞はほとんどが店頭で買った商品の応募シールをハガキに貼って送る形式でしたが、パソコンで企業のホームページから何も買わずに応募できる形式の物があることをその記事で知りました。
家には主人が結婚当時「仕事のために必要だから」と私の嫁入り持参金100万円を投じて買ったパソコンがありました。(結婚した1993年当時はパソコンはとても高価で、一般家庭にはあまり普及していませんでした)が、私は触ったことがなく、文字打ちさえもほとんどできませんでした。

帰宅した主人に恐る恐るその記事を見せ、「私もパソコン使って応募してみたいんだけど」と持ちかけると意外にも「いいよ」と。
そして懸賞応募用のフリーメールのアドレスを作ってくれたのでした。

6 平日1日2時間懸賞応募開始

準備が整い、子供の夏休みが終わって2001年の9月から、平日の昼間、ハマり過ぎを防ぐために1日2時間と決めて懸賞応募を始めました。

スーパーで買ってきた懸賞応募用のシールをハガキに貼ったり、パソコンで日常生活に馴染みの深い企業のホームページを開いてプレゼント企画を見つけて応募したりしていました。

重複応募を防ぐために、かたわらにノートを置き、応募した企業名とプレゼント名を書き込んでいきました。

住所や名前を繰り返し入力することで文字打ちにも慣れていきました。

応募したものを記録したノート

最初に当選したのは、ホームページから応募した、写真のアルバムなどを手掛ける会社のマンスリープレゼントでした。

一度当たった企業は続けては当選しないだろうと思い、当選した企業名もノートに書き留めるようになりました。

最初のうちは次々と当選していきました。
現金や図書カードなどはあまり当たりませんでしたが、生活用品や飲料など、ちょっと家計の足しになってちょっと嬉しい物が数多く届くようになりました。

当選した品物の金額を調べて、「今月は◯◯円分稼いだ〜」と、パート勤務したような気分になっていました。

当選記録ノート。2006年位のもの


上の画像で当選したと書いてあるストラップ

息子の幼稚園卒業が近づき、我が家にある変化が訪れました。
子供が成長して家が手狭になったので、広いマンションを購入し引っ越すことになったのです。

7 引っ越しと懸賞

懸賞にはタイムラグというものが存在します。

募集開始初日に応募しても、実際に抽選が行われるのは締切のあと。応募期間が3ヶ月あったらそこでもう3ヶ月待たなければなりません。

そして、締切後賞品が送られてくるまでだいたい1ヶ月ほどかかります。(経験に基づきます)

最近のXなどでは、当選した人のみに住所を尋ねるパターンが多いですが、それにも1週間ほどの返信待ちの期間があります。

引っ越しの日にちは決まっていましたが、新築マンションのため、入居直前まで新しい家の住所は地番(法務局が定めた土地の番号で一般的な住所とは異なる)しかわかりませんでした。

新しい住所がわかっていれば、応募する際に注意事項を読んで「賞品は◯月△旬に発送します」に合わせてその時点で住んでいる住所を書くことができたのですが、この時は出来ず、引越し前は応募する数が極端に減ってしまいました。

無事に引っ越しはできましたが、家具などの購入で予想以上のお金がかかってしまったことと、引っ越しによって娘の塾が高額な所に変更せざるをえなかったことで私の懸賞生活にはまた変化が起きます。

8 パートと懸賞

引越に伴う予想外の出費で我が家の資金繰りは危なくなり、夫婦合意の上、私がパートに出ることになりました。

今回は緊急事態なので主人からの「家事を完璧にすること」という条件は外されました。
が、自分で職種を選ぶことは許されず、主人が薦めた銀行でのパート生活が始まりました。

扶養内でのパートなのでフルタイムではありませんでしたが、それでも家事と両立するのは大変で、懸賞に当てる時間は減ってしまいました。

本来、家計を助けるために始めた懸賞なので、パートに出ていれば懸賞をする必要はないのですが、銀行業務は好きになれず、好きでもない職種のパートのために懸賞をする時間が減ってしまっていることがストレスに感じ始めました。

ここで「懸賞は家計の手助けの手段じゃない、私は懸賞が好きなんだわ!」と気づいたのです。ある時突然に玄関のチャイムがなり、配達員さんが当選品を届けてくれる、その包みを開ける時のときめきが何より嬉しいものだ、ということがわかったのです。

そしてパートを始めてから2年半の月日が流れました。

9 再び専業主婦へ

危機感満載だった家計も大分落ち着いてきて、主人の収入も順調に増えていきました。

そんな折、私の父が娘の塾代や私立中学の学費を援助してくれると言ってきてくれました。

先立つ不安がなくなった時、主人に「もうパートは辞めなさい」と言われました。

そのころようやく私も仕事に慣れてきて難しいことを教わり始めていたので一度主人に「もう半年だけ働かせてほしい」と頼んでみましたが却下されました。『主人と喧嘩してまで働き続けたいかなぁ』と考え、出した答えはNoでした。

2006年の秋、仕事を辞め、専業主婦生活に戻りました。

当時、ブログが流行り始めていて、私も「懸賞に関するブログを書きたい」と主人に提案しましたが、許可は得られませんでした。理由は「危ないから」。主人と共用のパソコンを使っていたため(アカウントも共通)内緒ではできそうもありませんでした。スマホはまだ日本では販売されていませんでした。

仕方なく以前と同じように平日の昼間の数時間を懸賞に当てていましたが、ある日ぼんやりと懸賞ノートの当選品を記録したページを眺めていて、「私、今までいくつ当てたんだろう」と思ったのです。

10 懸賞当選1000社を目指すきっかけ

懸賞で当選した会社名を綴ったノートは当時すべて保管していました。

数えてみると、300社以上当選していました。

家計を助けるためではなく、趣味で懸賞を続けるのなら、何か目標があったほうがいいなと考え始めました。

その時はもう一生専業主婦で主人の妻として人生を終える予定だったので、今後の生活が根本的には変わらないと思い、あくまで自分の心の中で、長い年月をかけて達成を目指せる目標を考えました。

「一生続ければ1000社くらいいけそうだな」と、漠然と1000社を心のなかで目指すようになりました。

2回以上当選した会社名は1回と数え直し、一度当選した会社には再び応募することはなくなりました。

家事をおろそかにしないよう、やはり平日一日2時間までと決め、コツコツと応募を続けていました。

家族以外とはほとんど会話もしない生活が続いていきました。でも私はそれでいいと思っていました。

11 家出と半年間の懸賞休み

ここまで読んでくださった方の中にはお気づきの方もいらっしゃると思いますが、主人は自分のことを私の保護者だと思っているところがある人間でした。

私は自由が好きで色々なことにゆるい人間なので、主人の束縛の強さや、私や娘が主人の思い通りに行動できないと激昂して手や包丁を出したりすることに悩んでいました。娘の大学受験を終えてから、市が主催している相談コーナーに相談に行きました。

お互いの性格や人間性を変えることは不可能だと考えた私は、主人から離れたいと相談しました。すると、別居することを薦められました。別居なんて許されるはずもないと反論すると、主人が会社に行っている時間に黙って出るようにと、無職でも住める所をいくつか教えてくださいました。部屋を見つけて娘を誘いましたが「私は残る」と言われたので、主人が会社に行っている間にひとりで家を出ました。2012年、娘は大学生、息子は私立大学付属の中学生でした。

家出状態でも受け入れてくれた個人経営のお店で働き始め、新たに自分用のノートパソコンを購入しました。が、その時は普通の精神状態ではなく、とても懸賞をする気にはなれませんでした。

家を出て半年が過ぎ、精神状態も大分落ち着いてきて、子どもたちのことが心配になり、戻る決心をしました。

戻ったあとは主人は少し穏やかになりましたが、仕事は辞めるようにと言われ続けました。私は働くこと自体は好きではなかったのですが、そのお店はとても居心地がよく、また家を出ることになることがあるかもしれないと思い辞めませんでした。

そして懸賞も再開しました。仕事は週3,4日、夕方からでしたので、一日1時間くらいは懸賞に充てることができました。

家出をする前よりも精神的に少しラクになったので、子どもたちが独立するまではこのままで、と思いつつ生活していたある日、娘からある相談を受けました。

12 二度目の家出

娘は娘でずっと大変な思いをしてきていたのです。

「お父さんに反対されて自分が就きたい職業を目指すことが出来ない。それにお母さんが家を出ている間、全てにおいてお母さんがされているのと同じ束縛や強制を受けた。もう耐えられない。学費は自分で奨学金を申請するから二人で家を出て自由になろう」という提案でした。

始めは娘一人で出ることを薦めましたが、娘一人を出したら必ず残った自分が責められると考えると怖くなり、男の子だからか主人からあまりひどい仕打ちを受けず、「お父さんが可愛そうだから残る」と言う息子を置いて二人で出ることにしました。

二人で住む家を見つけ、当時GPSをつけられていた携帯電話を家に置き、二度めの家出をしました。今回は二度と戻らない決心をしていました。

家を出る1時間前にも懸賞の当選品が届きました。

それからどうなったかは、人生編後半をお読みください。次の「私の懸賞経験&こだわり編」では、私なりの懸賞のルールや経験に基づいた当選しやすい応募の仕方を書いています。






























































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