見出し画像

お別れセレモニーのリクエスト

 がん患者のみなさんが書かれるコラムや本を読む機会が増えました。
 なかでも告知を受けた時の様子に始まり、「死ぬまで、どう私は生きるか」を書いたものが多いですね。治療のプロセスもとてもくわしく参考になります。また、なぜ自分なのか、家族はこれからどうなるのか、まだ死にたくないという思いの数々がリアルに自分の言葉で綴られています。
 書きっぷりは落ち着いた筆致でも、すさまじい葛藤が手に取るように伝わってきます。
 
 しかし・・・
 
 「自分の葬式(お別れセレモニー)はこうしてほしい」というものが少ないのが意外です。
 書かれていても、とても、あっさりしています。家族や仲間への遺す言葉・贈る言葉はあっても、どのようなお葬式をしてもらいたいというのはほとんどリクエストがありません。
 あるだけで家族にとっては目安になり、いいと思うのですが・・・。
 
 遺言書なら、もしかしてなおさらかもしれませんね。
 
 亡くなって即行で開封するわけではないのが遺言状ですから。
 財産分与などセンシティブなことも書くこともあるでしょう。では「望むお葬式」のことを書くか・・・葬式終わってひと息ついて、子どもたちが集まって開封するのが通例ですから。そこに「私が望むお葬式」なんて書き残しておいても、すっかりと終わってしまっていたら、それはそれで微妙な空気になりますもんね。
 
 いっぽうで20年ほど前に映画「お葬式」(伊丹十三監督)のブームのおかげで、どのような人を招いてどのような曲を流し、どのような祭壇にするのか、まで細かく指示を残す人が増えました。
 いまではそれも定番となった感があります。

 なかには式次第までしっかり指示しておく人もいるとか・・・
 今風なのはお通夜・告別式に来た人に「動画であいさつ」を流すパターンです。私もさすがにはじめはギョッとしたものですが、いまでは「ダイイング・メッセージ」としてアリかと受け入れられているようにも思います。
 
 ところがこの3年間で、そんな葬式はグッと減ったように思います。
 原因は・・・
 やはりコロナ禍の影響ですよね。
 コロナ感染と判明すれば家族も面会できず、死亡したら霊安室から即焼き場行きがパターン化しましたもんね。
 
 葬儀も「家族葬」なるものがすっかり定着した感があります。
 子どもや身内だけが集まるだけの、とっても「小さなお葬式」です。祭壇もシンプル、焼香時間も数分、贈る言葉もなければご列席の方々へのあいさつもない。なにより霊柩車が重々しくクラクションを鳴らして走り出すシーンもない。
 実は家族にとってもかなりありがたい。葬式の案内でドタバタする必要もないし、派手な祭壇を飾る必要もない。とてもコスパがいいのですね。
 
 かつての葬儀場は「セレモニーホール」と銘打ち、堂々とした建物でしたが、家族葬タイプのホールは「ここって元はコンビニだったよね?」と口に出したくなるほどに街中にあって、建物がかなりちっちゃい。
 いい点はなによりクルマが止めやすいことくらい。
 お葬式の「コンビニ化」がドドンと進んでいる感がしますね。
 
そのあおりを受けているのが花屋さんとのこと。ここ10年近くはギラギラとした祭壇のど真ん中に遺影があるというのではなく、大量に菊や蘭などで祭壇を作る、というものが流行だったようです。
 「生花祭壇」と呼び、日本が発祥とのことです。
 ところが家族葬だと身内のみですから、あまり時間をかけることもなく、祭壇もグッと簡素化、コンパクト化しているようです。
 
 もし30年前の昭和と現代の令和をタイプスリップする宮藤勘九郎脚本のTVドラマ「不適切にもほどがある」ならどのように描かれるでしょうか・・・
 
 そこで自分なりにどのような「お葬式」つまりお別れ的セレモニーをやってもらいたいか、をちょっと考えてみました。
 定番の「小じんまりとしてあたたかく愛情あふれるお葬式がいい」と書いても全然ピンとこないですよね。
 小さいよりは大きい、地味よりは派手を望むわけではありません。
 具体的には・・・うーん、まだなーんも浮かびませんね(^^;)。

 なんだ・・・と思ったみなさん、ごめんなさいです。

 書きながらインスピレーションが湧いてくるかと思いましたが、やはりムリなようです。まだまだ気持ちに余裕があるからか、そんなことは縁起でもないと心のどこかで抵抗しているのか。
 
 ただ引き出物?のイメージは湧きますね。
 定番の「塩」なら「赤穂の塩」がいいですね。
 アンデスの塩も悪くないかな。ちょっとオシャレですよね。
 能登半島の塩田の手作り塩もグッとこだわりがあっていいかも。
 
 自分には「寄せ書き」なんかを置いて、そこに贈る言葉を書いてもらうというのもいいかも。お焼香よりも参列していただいたみなさんの「心の言葉」が伝わってくるような。
 その寄せ書きが棺に入れてもらって焼かれるのは、ちょっとオツかもしれません。
 
 集まってもらうのは申し訳ない、という気持ちはありますが、ここ最近、とてもお世話になった恩師が他界し、こじんまりした家族葬で済ませると知らされ、少し残念な気持ちになりました。
 お別れをする気持ちと感謝を伝えたかったな、と・・・
 
 お葬式は遺された人たちのために行うものなんだな、とつくづく思います。小さいばかりがいいわけではありません。
 お別れであり、感謝を伝えるセレモニーなんですもんね。
 霊柩車でなく「神輿」に担がれるのもいいかも・・・
 
 私のちょっとした夢です。
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?