「さみしい」って言っちまったぜ・・・
昨年の11月から約3カ月半という長い入院でした。
ようやく自宅に戻ってきた1週間後の2月末のこと。
「やっぱり自宅はええなぁ」と思っているとスマホが鳴りました。姉たちとのグループLINEに着信がありました。
そこには御年98歳の母と姪の子どものMちゃんがソファに座っている画像が1つ。そしてもう数枚が母を中心にわがきょうだいや姪っ子や甥っ子たち。「99」のアドバルーンとケーキがありました。
「白寿の会にみんなで集まり楽しかったです」
「花束を贈ったんやけど、○○の名前も入れておいたからなぁ」
その一文に自分のなかでおだやかに続いていた(でもすっかりと忘れていた)緊張感がプチっと切れたのがわかりました。
「ええええ、ええええ・・・ほんま?なんなん?」
そうです、私は母の白寿の会があることを知らされていなかったんです。
頭のなかを整理しました。
どういうこと?
オレを除けものにしたわけ?
母親より先逝く不幸をかける可能性の高いオレ。そんな自分を母に合わせるのは母とオレにとって不憫と思ったのか!
いやいや、あのきょうだいたちのこと、オレ様を呼ぶと声がでかくてウルサイから呼ばなかったんだ、きっとそうだ。
根拠のない決めつけをするわするわ・・・の状態です。
何とも早や、自問自答のループの中に落ち込んでいく自分を止められません。いい齢をしてと・・・いつもならブレーキがかかるのですが、今回はちょっと違いました。
つい妻サンに私は少し怒りモードで本音を話しました。
すると冷静に・・・
「まあ、あなたの体調を心配してくれて、あえて伝えなかったんじゃない?気にすることはないって」
「でも、オレは白血病なんだよ。母親の死に目に会えないかもしれないムスコの最後のチャンスになるかもしれないんだよ」
※ここでハタと妙な矛盾に気がつきました。母が先かオイラが先か・・・
なにせ、あちらは99歳ですからね。(ちなみにオイラは66歳。ちょうどひっくり返したらおんなじ)
さて、私はどっちを案じているんだろう、と。それときょうだいたちは?
どちらにしても死に目に遭えない確率はそれなりに高いわけで。
ではどっちかが先に逝って三途の川で相手を待つとしたら、どっちがいいんだろう?とも。
もし、もしですよ。オイラが先に逝って、手を振って待っていたら、母はどんなリアクションするだろうなぁ、と考えたり。
私:「待ってたわ、こっちやで!!!」
母:「なんや、先に来ていたんかぁ。誘ってくれたらいっしょに来たのに・・・」
そんなコントのような風景がよぎりました。
さて、「白寿の会お誘いしなかった事件」の全貌が少しずつわかってきました。この話が持ち上がったのは昨年末のこと。姪っ子たちと義姉が中心となって企画したそうです。
そして私のほうは急性骨髄性白血病で無菌室の身なので、おのずと「とても、参加はムリだろう」と声がけメンバーからはずされた、というわけです。これって、よくあることなんでしょうね・・・。
ただそのような会をやることくらいは知らせてほしかった、というのが本音なので、念のため、姉達にはLINEに書き込みました。
ただ自分で驚いたのは、LINEの末尾に「さみしい」と書いてしまう自分がいたことです。これまでなら当方も忙しく、東京からわざわざ行くのはちょっとキツイので「ゴメン」となるのが通常だった。だから、誘われなくても大して気にはなりませんでした。
しかし、いまはこの体調で時間はたっぷりあるし、なにより、母と身内一同の輪の中にいっしょにいたい、という衝動が湧いてきていたわけですね。
そして洩れた本音が、なんと「さみしい」でした。
おやおや・・・われながら、なんと心が弱っていることか(^^;)。
でも、なんと素直なつぶやきだろうと驚くばかりです。
身内のきょうだいや甥っ子・姪っ子たちの思い出に少しでも残っていたいという、ほのかな願いもあったのかもしれません。
姉は「かんにんな。来年の100歳は実家でやるみたいやから、そん時は
かならず声をかけるし、な」と幾度も言ってくれました。
めんどくさい「還暦過ぎた弟」と思われたことでしょう・・・はぁ。
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