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アホすぎて死ねなかった話

昨日、Twitterを見てたらバイクで日本一周した青年のツイートが話題になってた。悲しい内容でバイクで日本一周してる青年が日本一周できたことを喜ぶ内容、死をほのめかす内容をダムの写真、そしてADHDの診断書の写真とともに投稿したのを最後に消息を経ったそうだ。
何気なしに見ていたが彼の年齢が自分と近かったこと、自分もADHDであることから酷く共感を覚えてしまい彼のツイートやリプ欄を辿っていた。彼の最後のツイートにはリプ欄で様々な意見が寄せられており、どれも理解、共感できる内容のものだったが(当然と言えばそうなのだが)誰一人として完全に納得できる意見だと感じたものはなかった。ADHDくらいで死ぬなという意見やADHDの生きづらさが日本社会ではまだ理解されてないといった意見があり両方共に納得出来た。


ただ、今回はADHDが生きづらい社会だとか、彼の選択が正しいとか間違ってるとかを論じるつもりは全くない。
僕が症状の程度の差や生活してる環境は違うにしろ、ADHDという生きづらさを抱えてる身として今まで死ななかった理由を自分なりに考えてみようと思う。そもそも書いてる時点で結論が着いてないし内容も練ってから書いたりとかしてる訳では無いのでグダグダ自分語りをして曖昧な結論になるかもしれないがとりあえず書いてみよう。

さて、僕は今のところ死んでいない。でも死のうと思ったことがなかった訳では無いし、今でもたまに憂鬱な時に死んでやろうかと思うことだってしばしばある。

1番死にたいと思ったのは高一の時だ。今考えるとなんて事のない話なのだが当時僕は部活内での人間関係や勉学などで悩んでおり、ややうつ症状が出ていた。高校に近づくと吐き気がしたり、電車で高校の最寄り駅が近づくと過呼吸になりかけ途中下車し、再度乗車を試みるも乗れる状態ではなく仕方なく反対側の電車に乗り込み帰宅したこともあった。

しかし、部活をやめたことと何とか進級できたことで何とかその鬱シーズンを抜けることができたのである。ほんとに良かった、空気が綺麗でタバコが美味しい。

ただ僕も生きづらさ的なものを感じていない訳では無い。小学生はずっといじめの対象だったし、高校もクラスで浮いた存在だった。(ありがたいことに中学は友人に恵まれ虐められることはなかった。)今でも飲食のバイトでは仕事を覚えるのが遅くて店長に怒られたり、人より忘れ物が多かったりはしている。

本題から少し逸れてしまった。話を戻そう。
いきなり結論を出してしまおう。
僕が死ねなかったのは恐らくアホすぎたからである。
昔、高校で中田正一さんが書いた「風の学校」というノンフィクション作品を読んだ。
その中に自身が藤村操(華厳の滝で自殺し明治期の知識人に衝撃を与えた)のように自分も10代の頃に生きる意味を考え悩んだが、死ななかった。死ななかった理由は藤村操より少しだけ頭が悪く体を動かすのが好きなタチだったからに違いないと語る部分があったがこれににているかもしれない。(自分の場合生きる意味までは考えて生きてこなかったが。)

自分の場合、頭が悪くて自分の境遇に不憫さを感じたりしなかった。幸か不幸か、バカにされてることにも気づかずに生きてこれたのだ。
そのほか、理解ある友人と家族に恵まれたことも大きな原因だが1番大きなところはそこなのではないかと確信している。(というかさっき確信しただけ)

何にせよ、僕はメンタルが強い訳でも無いが何とか生きてこれた。その事に感謝しようと思う。なかなかグダってしまって申し訳ないけれど話は以上だ。


未来の自分に。

死にたくなったらこれ見返してほしい。

さてと、一服しに行こうか!                                                      


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