信号のない島【1】

わたしは周囲5kmの離島で生まれ、高校を卒業するまでそこで暮らした。
子供の頃、島の人口は2500人だと教わった。
今はもっと少ないだろう。

小さな島の産業は主に漁業と観光だ。
わたしの父は漁師で、祖父も漁師だ。
漁業という仕事を考えると、なかなかわりの良い仕事のように思える。
なにしろ農家のようにせっせと作物を育て、日照りや台風被害にダメージをうける心配もなく、酪農のように1日も休まず家畜の世話をしたりする必要はなく、海で勝手にすくすく育つ魚を獲るだけだ。

そうは言っても漁師が大変な仕事だ、とわかっている。
父は真夜中に起きて、一人で漁に出た。
たった一人で真っ暗な海に出るのは大人でも怖かっただろうと、やっと今時分になって思う。
子供の頃は、薄汚く日焼けして、いつも生臭い父のことがあまり好きではなかった。

漁師というのは、かなり高収入が見込める仕事のようで、島には新しい大きな家が多かった。
わたしが小さかった頃はそうではなかったような気がする。
黒くて古い家ばかりの全体的に貧乏くさい島だった。
いつ頃からか、急にみんな羽振りが良くなっていった。
一次産業を保護しようという国策だったのかもしれない。

ただし、漁師は個人のスキルで収入に差がある。
父はおそらく漁が下手だった。
我が家はずっと黒くて古い家のままだった。
わたしが生まれた頃には家に風呂もなく、洗濯機も電話もなかった。
なにより辛かったのが、トイレだ。
トイレなどと呼称するのはおこがましく、便所、と呼ぶのが相応しいそれは、家の裏庭にあって、もちろん水洗ではない。
大便はどっぽん便所に、小便は肥溜めにする仕組みだった。
何時代だよと思われるかもしれないが、近所でそんな家はうちだけだった。
小さい頃は家の外にある便所が怖くて、夜は祖母に着いてきてもらわねば行けず、小学生以降は友達に対してひどく恥ずかしかった。

大便の方は定期的にどこからか汲み取りのバキュームカーが来て処理してくれたが、肥溜めのほうは一杯になると、祖母が、祖母が老いてからは母が、歩いて10分くらい先の畑の肥溜めに一輪車で運んだ。
もしわたしなら、嫁ぎ先でそんなことをしなければならないと知ったら逃げ出したと思う。
母を尊敬したことはなかったが、このことに関しては凄いと思う。

しょっぱなから便所の話で恐縮である。
わたしはそんなレトロな便所のある黒くて古い家で生まれ、祖父母と両親、2人の弟と、父の弟である叔父と暮らしていた。
叔父はやがて結婚して家を出た。
最初は借家住まいをしていた叔父は、数年して新築の大きな家を建てた。
父とは違って漁師の才覚があったようだ。

風呂は小学生になる頃には台所の土間の隅に作られ、同じ頃に黒電話も敷かれたが、便所に関してはわたしが高校を卒業して家を出るまで変わらなかった。
あんな便所では結婚相手を実家に連れて行けないとわたしがゴネて、やっと父は便所があった裏庭に、和室をひとつと新しい風呂とトイレに改築した。

かつては大家族だったその家に、今は老いた母が1人で住んでいる。
わたしは若い頃から物忘れがひどくて、昔のことはあまり憶えていない。
完全に忘れてしまう前に、島のことを書いておこうと思いつき、noteをはじめた。

フィクションではなく、本当のことです。

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