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闘病記#4 カウンセリングと私②

自分の怒りの根源はどこにあるのか、自分がどことなく感じている生きづらさはどこから来ているものなのか。

自力で心の中を紐解き、生きづらさを解消できないか、ネットで調べたり本を読んだりした。

本は20冊近くを読んだ。

数冊読んだ中で、実際にカウンセリングルームを開いている方の本を多く読み、その方のカウンセリングを受けることにした。
今までイメージしていた、または経験したカウンセリングとは違い、
自己を振り返って整理するのみならず、時に自己の無意識に働きかけるというようなところに興味がわいた。

まずは生育歴を事細かに聞かれたと思う。
自身の父親はアルコール依存症であった。
父親のアルコール依存症が原因で、両親が離婚に至ったことなどを話すと、カウンセラーが私の生きづらさの原因となっているものがなんであるのか、仮説を立てた上、そのトラウマを取り除くための心の整理を助けてくれた。

月日が変わるにつれ、自身の問題の本質を深堀りされ、生きづらさの根源にたどり着き、それが解明されると、楽になってゆく感覚があった。

生きづらさの根源が一つではない。

複数のことや環境が複雑に絡み合って、今の私を作っている。

私は基本的に自分を無価値なものとして捉えていたことが大きかった。
正直、自分が自分を無価値だと思っていることなんて、全く考えたこともなかったし、気づかなかった。

ここでは詳しくは書かないが、ほんの小さな棘が何個も何個も身体に刺さっていて、それらが、私の無価値観を構築していた。
「ここにも刺さってたね。」
「あら、ここにも刺さってたね。」
って、ひとつひとつ見つけながら、
「だから私、なんとなくいつも罪悪感を抱えて生きていたのね。」とか。
「罪悪感は無価値観からきていたのね。」とか。

今はだいぶ生きやすくなった。
カウセリングの中で、どうやって紐解いて自分を楽にしていったのか。
ほんの1年、2年のことなのに、今思い出そうとしても思い出せない。

カウンセラーは、「思い出せないほうがいいんです」と言った。
私もそう思う。
無意識に自分の生きやすいほうへ、いざなわれていくように
向かっていったほうがいい。

カウンセリングの渦中のときは、必死だったし、ボロボロ泣いたりもしたけれど。

そうして、自分の無意識に委ねていくということを少しずつ意識できるようになった。
(なんのこっちゃ)

そんな時に、そんなタイミングで、卵巣に白いモコモコ。

どうして私に?どうして今?
結構、人生のアップダウンきつくないですか?

涙を流しに流して、考えた先に、
自分の無意識の力に委ねるしかないと悟った。

きっと、私の卵巣は、私の悲しみとか怒りとか、あらゆるストレスを全部引き受けてくれていたんだ。
ありがとう卵巣さん。
辛かったね。もう役割を終えていいっていうタイミングだったんだ。








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