可能性の種をはぐくむ時間〜オルタナティブスクール「さとのわ」の場合〜
今日は、私がスタッフをしている
オルタナティブスクール「さとのわ」のことを
主観も含めて紹介してみようと思う。
そこでは、制服も無ければ時間割も無く、プロジェクト学習という名の時間には、それぞれの好きなことややりたいことを自分たちで決めて取り組んでいる。
さらにはテストや通知表というものも無いので、自分自身を数値で測られることもないし、周りの子たちと比べてしまう...なんてことも無い。
そして校舎まわりには田んぼや畑があったり、ちょっとした山がすぐ裏手にあったり、にわとりや烏骨鶏の小屋があったりと、身近に豊かな自然や生命と関われる環境が広がっている。
1年以上前にこの場の存在を知ったときには、このような形で子どもたちの「居場所」があるのか...とかなり印象的だったことを覚えている。
それと同時に、もし自分が子どもの頃にそんな場所があって、その存在を知っていたら、きっとこんな所に行きたかっただろうなとも思う。
何故なら、私自身が学生時代に人間関係を築くことが上手くいかずに孤立してばかりで、学校に通うことがとてもしんどかったという苦い思い出が色濃く心に染みついているからだ。
当時はそんな悩みや苦しみを誰にも打ち明けることが出来なくて、一人でずっと我慢を繰り返していた。
家族に話して余計な心配をかけたくない、大事にされたら学校内にいるのがもっとしんどくなるから...なんてことを思っていたから、どんなに学校生活が苦しくても、平気を装って毎日休まず通っていたものだ。
だけど、そんな日々にもついに耐えきれなくなった中学生のある日、朝布団から出ることすら辛くて涙を流しながら「(学校に)行きたくない」となって一時的に登校拒否の状態になった。
家族や当時のクラス担任の先生の支えのおかげで再び学校に行けるようになってからも、自分の中にいつも生きづらさを抱えていた私。
その頃は目立たないように、悪く思われないように、周りに合わせて息をひそめるようにして過ごしていくことが当たり前になっていた。
周りに合わせて、自分を抑えて。。
そんな日々が続いていくうちに「自分」というものが分からなくなって、ついには「何で私は生きているのだろう?」と、その存在価値をすっかり見失っていた。
気付いたら死ぬことばかり思っていたり、携帯で自殺の方法を調べては、どうせならなるべく他人に迷惑をかけないように手段を選んで、実際に自分で自分の身体を傷つけてしまうようなことを実行したこともあった。
(全て失敗に終わったけれども)
それがちょうど高校3年生の頃だった。
そんな学生時代を過ごしていた当時の私は
あの校舎が、教室が全てだと思っていたから、
その場にいることがどんなに辛くても耐えるしかないのだと、自分にかなり無理をさせながら日々を過ごしていた。
もちろん、そんな日々の中では生きた心地もしなかった。
間が長くなってしまったけれど、そういった生きづらい経験をしてきているからこそ、今やこれからの子どもたちには、「自分らしく・のびのびと・楽しく」本当にやりたいことや好きなことを自由に取り組んでいってくれたらいいな...という想いがある。
「先生と生徒」だとどうしても見えない関係性に囚われてしまいがちになってしまうので、このスクールでは「先生」と呼ばれる人はおらず、ひとりの大人と子どもとして名前やニックネームで呼び合っている。
ちなみに私は子どもたちから「たみちゃん」と呼ばれ、対等な関係を築いていくために、時にはいじられ役も喜んで引き受けている。笑
そんなさとのわのスクールの子どもたちが日々何をしているかというと...
・お菓子づくり
・お絵描き
・工作(アイロンビーズなど)
・プログラミング
・ボードゲーム etc...
基本的には大人から子どもに何かさせるように言葉をかけることはなく、子どもたちの自主性や気持ちを尊重するように心がけながら見守っている。
最初は大丈夫かなと心配することもあったけれど、子どもたちに任せておけば自分たちでやりやすいように調べたり工夫したりして、最終的にはゴールまでたどり着くことが出来ちゃってたり。。
思っている以上に子どもたちって素晴らしい力を備えているので、それぞれの子どもたちの良さを見つけて、それを引き出し育んでいくための環境をつくっていくのが、私を含めた大人たちの役目なんじゃないかなと。
ちなみに私はまだその途中というか、今は子どもたちとの関係性を築いていくフェーズにいると思っている。
まずはひとりの大人と子どもとして、時には仲間や友達のようになりながら、これからも一緒になって「楽しむ」を全力でやっていけたらと思う。
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