見出し画像

認知症老人、放浪記

定期的に、父に面会に行きます。
コロナ禍なので面会時間にも制限があります。
認知症相手なので、そもそも会話が成立しない。
私がいったい誰なのか?
認知されているか怪しい。

母(故人)、姑、父の順で、認知症になっていったのですが、
三人とも、定番のボケを披露してくれます。

まずは、私が誰だか認識できない。
母は、私のことを姉(伯母)だと思っていたし。
姑は、私のことを職員さんだと思っているし。
父もそろそろ、私を娘だと認知できなくなりつつある。

認知症ネタで、「飯はまだか」というのがありますけど、
「朝ごはんを食べてない」と、今日面会した父は言っていました。

「そうなんだ、私も今朝は何も食べてないんだよ。(事実)
お腹空かないんだよね。お昼はいっぱい食べられるといいね。
ここの施設はいいよねぇ、キレイだし。寒くないし。
何かあっても職員さんがいるから、私も安心だわ。
洗濯も掃除もしてくれるし、お料理も出してくれるし。
看護師さんもいるから具合が悪くなっても、すぐに対応してくれるし。
よかったね、ここなら安心だよね」

という話を、毎度繰り返しています。
いい施設で安心、いい施設でよかったね。

母の時は、デイサービスからの、施設からの、病院でしたが、
施設に入る時には、すでに会話もできなくなっていました。
物忘れ外来の担当医から
「お父さんに介護は無理だと思うので、
娘さんから施設に入れるように説得してください」と言われました。
かわいいボケ母は何をしても気にならなかったけど、
私は父と常に喧嘩してました。
もともと、父はお世話してもらうタイプなのに、
認知症の妻の世話なんてできる人ではなかったんですよね。
父ができないと、とばっちりはボケた母が受けることになる。
うちの子供たち(孫)を総動員しての介護でした。
同居しているならともかく、別所帯の我が家を振り回しすぎ。
当時、子供はまだ小学生と中学生。ヤングケアラーか!

姑は、一人暮らしが怪しくなって、
私がいくら夫に話しても聞き入れてもらえず、
高校生になった下の子供が夫を説得しました。
「お祖母ちゃん、かなりヤバイよ」と。

姑を自立型の老人ホームに引っ越しさせたところ、
すでに認知症がかなり進行していました。
「ここはどこ? ここにいてもいいの?」の状態で、
何度説明しても理解できませんでした。
自分がどこにいるのかわからないので、
嫁の私が顔を出すと「よかった」と本当に安心した顔をする。
足はしっかりしていたので、まめに外に連れ出しても、
部屋に戻ると、何もかも忘れてしまっている。
それでも、出先では「花がきれいね」「気持ちのいい公園ね」
などと言って喜んでいたので、それでもいいかと思いました。
そんな時期も過ぎて、徘徊がはじまり、
姑も、最初の施設から、別の施設に移動して、そこからグループホームに。

一か所ですめばいいのでしょうけど、なかなかそんな上手くはいかない。
入りたくても、空きがなくてタイミングが合わないこともある。
『看取りまでやります』だったはずが、追い出されてしまう。
寝たきりになってから、「胃婁」という魔の手にからめとられたりするともう大変。
三途の川の手前で、足止め食らうことになります。

あと2人、なんとか、最後の川を無事渡り終えるまでは、
私もしっかりしないと。
2人が今いる場所が、終の棲家になるかどうかはわからないから。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?