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09-2 能登半島地震 ボランティア報告 珠洲市 令和6年5月5日(2日目)



朝は自分のテント場でコーヒーを入れ、パンやシリアルで簡単な食事を済ましました。

ミーティング


8時に集合し、マッチング。既に20人余りの様々な世代の男女が集まっています。
平床地区で道普請に約10名。
隣の能登町へ行き、社会福祉協議会主催の活動に約10名。
私だけ平床地区のツツジ園担当として行く事に。
 

歪んだ道

道普請は、道路に土砂崩れや倒壊した家屋、落ち葉などが堆積しているのを掃いたり土砂を取り除き通行しやすくするというミッションで、それに使う竹ぼうき、スコップ、箕などを2台のトラックに積みました。従事者は乗用車に乗り合わせて平床地区へ。平床に着くと道普請組と別れ、私はツツジ園へ。一人ってやけに少人数で炊き出しをするなぁ。イベントで豚汁を大量に作った事はあるけれど同じ感じだろうか?大体何を作るのか聞いてないと思案しつつ、前家というお宅の裏庭へ。前家は倒壊を免れているものの戸や窓は歪み、家財が外に出されて、片付けの最中。 

ツツジ園

裏庭は急斜面に赤い能登キリシマツツジが美しく咲き乱れ、散策できるよう道が整備されていました。その中腹にあずま屋があり、傍らに薪ストーブ。南さんという若い男性が待っていました。


竹で湯を沸かす


 南さんの説明では5月4日と5日の二日間に限り、能登キリシマツツジを眺めながら、カフェを楽しむという催しをするので、薪ストーブでコーヒーを入れるための湯沸かしとお客様をもてなすのが私の役目でした。このツツジ園は前家のお爺さんが50年前の台風で裏の崖の土砂が崩れたところに能登キリシマツツジを植えて見事な庭園を作り、地元の人が交流できる場を設けたという場所でした。そしてお爺さんも90歳を過ぎ、管理できなくなり、さらにこの地震でかちゃかちゃに。今回ボランティアの力を借りて整備したそうです。

イベントチラシ、二三味珈琲、オープンキッチンのクッキー


この美しい場所を使って珠洲を盛り上げるイベントをできないか相談を受けた南さんは、喫茶店店主の経験を活かしカフェを開くことを提案。地元で映画にも登場したという二三味珈琲店のコーヒー豆を使い、茶菓子は午前に金沢のオープンキッチンさんのクッキー、午後は地元婦人部と災害ボランティアが作った二色だんごを提供。夜はライトアップとたけのこご飯という内容で無料解放するというもの。チラシを配布したり、新聞の取材も受けて集客をはかったそうです。



私は朝から夕方5時までお手伝いする事に。コーヒーを作るために薪ストーブにもさった竹をくべてやかんの湯をわかします。薪ではなく竹なので、10〜15分で燃え尽きるのでひたすら竹をくべる。竹は足や手で折り短くします。少し油断すると火が消えているので大して力のいる仕事でもないのですが妙に忙しい。


この日は全国各地で最高気温を記録した日。珠洲市も27.4度まで気温上昇の中、私は薪ストーブの熱に煽られ、熱い暑い〜。そのうち新聞やチラシを見た地元の方が来たり、道普請組が数名ずつ交代で休憩に来るので、その都度お菓子やお茶やコーヒーをすすめて会話をしました。

午前のカフェ

石川県の有名な温泉旅館で避難し、GWを利用して片付けに戻って来た人達は、胸に溜まった思いを語り始めました。
・被災と言っても人様々。全壊の人、一部損壊の人、建て直したばかりの家が再び壊れた人、一人暮らしのお年寄り、金沢に孫がいて世話をしてもらっている人、旅館に避難後、自宅と異なる環境でボケ始めた人。お互い身の上を比べて引け目を感じたり、羨ましく感じたり。
・同じ旅館に避難した他の市の人は役所が手際よく手続きや説明をしてくれているのになぜうちの市はできないのか等の愚痴。
・1月1日その日はどうしたかの迫真の話やその後家族親戚でどうやって協力しあって過ごしていたかなども話してくれました。

道普請組は交代で昼食を食べに来ました。カップ麺の人にお湯を分けたところ、全て南さんが担いできた水だったのに気軽に使ってしまって申し訳ない。

胡桃とみたらし

午後は地元の人とボランティアさんの作った二色だんごが届けられ、それをデザートにコーヒーやお茶をいただきます。みたらしと胡桃のタレがかかっています。胡桃は地元の鬼胡桃を昨日ボランティアさん達が割って中身を取り出したそうです。鬼胡桃の殻が混じっているのがご愛敬。 

だんごに誘われて再び人が集まって来ました。三線で沖縄民謡をひきながら現れた女性や子ども達。イカ加工工場を経営する女性や午前中来た方が再び来てにぎやかです。

 ボランティアの中心となっている方ともお話しできました。Eさんという60代の女性は現場でボランティアのリーダーをしていて、物腰は優しく話し方も静かなのですが、行動力のある人でした。今日も道普請組のリーダーとして、学生や年配の男性をまとめて動いています。これまで水道の止まった30軒の家の井戸を掘る事業も関わったそうです。LINEのアイコンは大きな丸太をチェーンソーで切っているご本人の雄姿でした。 


珠洲焼マグカップ

 30代の男性のFさんはニーズの取りまとめをして何ヶ月も不休で活動している様子。痩せておられるのでちゃんと栄養がとれているのか少し心配です。いつも持ち歩いている珠州焼きのコーヒーカップが渋くてカッコいい。

 南さんによればイベントの参加者が今日は昨日より少ないと。来られた人の話では、道の駅すずなりでもイベントをやっていてそちらに行く人も多いのではと。GWは同時に複数箇所でイベントをやっているのでお客さんの取り合いになっている様子。 


道普請後のたき火

 私は5時にカフェのお手伝いを終了し、主人と軽トラでボラキャンに戻ります。Eさんが道普請で集めた落ち葉を道端で燃やしていて、活動予定時間を過ぎてもひとり後片付けをしていました。 


色々なものが曲がった道

  キャンプの入り口の駐車場には自衛隊風呂がありました。沢山の自衛隊の車両。京都より来ているそうです。大きな水のタンクとボイラーを操作している隊員。三々五々と入浴の客や子連れなどが集まって来ていました。 

自衛隊の湯

 キャンプ場に戻ると新しく隣に設営している60〜70代くらいの男性がいて、声をかけられました。その方は青森から一人で軽トラに乗って駆けつけたそうです。農業を引退し、ボランティア活動をし終えたら、軽トラを寄贈して列車で青森に帰る計画とのこと。 

青森から来た寄贈トラック

 食事は思い思いで自分のテントで食事しても良いし、外食してもよいのですが(門限は夜10時)、私は広いテントに行きました。差し入れのご飯や漬物、味噌汁などがあり、私はご飯を一膳もらって、持参したレトルトのおかずで夕飯としました。主人は他の人たちとスーパー、コンビニで買って来た惣菜をつまみにお酒を飲み始め、話に花が咲き情報交換です。私も今まで訪れた輪島や七尾、氷見などの話をしました。


交流テント

 ボランティアサークルの学生達はGWの活動を終了し、金沢に行ってそこから長距離バスで大学に帰ると去っていきました。代わりに入って来たのはアメリカ人男性と日本人妻の夫婦。七尾でお会いした中国人、韓国人と続きボランティアは国際的です。アメリカ人は沖縄民謡や昭和の曲をスマホで鳴らし上機嫌で歌っています。これが挨拶がわりなのかも知れません。すぐに他のボランティアと打ち解けていきました。それでも明日はGW最終日のせいか、だんだんキャンプに人が少なくなり、大きなテントの中も寂しくなります。 私達も明日はボランティア活動はせずに、被害の状態を確認しながら観光地を巡り、経済を回しながら富山に帰る予定です。

 3日目につづく。 


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