矛盾
卒業シーズン。多くの学生が学校を巣立つ季節。それは私も例外では無い。1年前高校を卒業した。
ありふれた表現だが大切な出会いたちと数え切れない思い出が出来た。入学するまで抱いていた勉強について行けるか、友達ができるか、部活は楽しいか、多くの不安はいつの間にか消えていた。
初めは教室内もどこか寒くみんな同じ中学校の人と固まっていた。しかし春がすぎ夏が来て気温が上がるように教室内の温度も徐々に上がっていった。学校行事は初めての事だらけだったがみんなで話し合い、協力し、完成させていった。あっという間にそんな1年が終わろうととしていた頃、世間ではコロナが流行った。学校が休校になった。ホームステイ予定だったオーストラリアに行けなくなった。期末テストもなくなり、そのまま2年生になった。
2年生では部活仲間と同じクラスになったことからすぐ他の友達も出来た。毎日くだらない話ばかりした。部活では後輩ができ、試行錯誤しながら指導し、先輩の顔を作った。修学旅行というビッグイベントもあった。中止になったり行き先が県内になった学校もあったが私たちは無事九州に行けた。最高の3日間だった。ホテルでは就寝時間をすぎてからこっそり部屋を抜け出し友達の部屋で喋った。翌日動かない頭をなんなとか動かし乗り切る。それを3日間行った。また2年生では仲間内であまり良くない遊びも流行った。その話はまた今度するとしよう。
最後の1年。みんなが進路に悩み始めた。なりたい職業があってそれに向かってひたむきな人もいれば、どこの学校に進学しようか悩んでる人もいた。ちなみに私は後者である。やってみたいことは沢山あるけど明確になりたい職業はない。ゴールがないのに道筋が立てれるわけが無い。なんとかゴールを立てそこに向かって足を踏み出した。またこの1年は何をするにも「最後の」とつく。最たる例がこの段落の1文目。最後の体育祭。部活リレーとクラス対抗リレーどちらもアンカーを任された。足早くないのに。流れってやつ?決定する時に「おい〜、なんでだよ〜。嫌だよ〜。」みたいな演技をしたけど、実際嫌では無い。目立つの好きだし。私の学校では体育祭で各クラス、フリーパフォーマンスをする。それを5人ほどの審査員の先生が点数をつける。このパフォーマンスは審査員が1辺、他3辺を他クラスの生徒全員が囲んでいる。また審査員側を正面としている。また、パフォーマンスはなんでもいいのだがほとんどのクラスはダンスをする。私のクラスもご多分に埋もれずダンスをした。気づけば練習の時から審査員側のどセンターに私がいた。いや、目立ちすぎじゃない?まあいい。目立つのは好きだから。最後の文化祭。私の学校の文化祭は各クラスが教室に展示や、イベント的な?のをする。ただし飲食店を出していいのは3年生だけってルールで飲食店は中庭に出店する。私のクラスは揚げ物を販売した。店番はみんなで時間を割り振った。店番の時は通りかかった後輩に買わせたりした。脅しては無い。断じて。ほ、ほ、本当に。担当時間以外は自由。私は友達と他クラスの友達が店番してる時間に食事を買いに行ったり、後輩の教室を見に行ったりした。すると、とあるクラスでボールを蹴って、的に当てるゲームをしていた。一応サッカー部に所属していた私は友達に煽られ、知らない後輩たちの注目を浴びながらボールを蹴った。1番点数の高い的に当たっちゃった。これは我ながらさすがにかっこよかったと言わざるを得ない。
そんなこんなで結構はしょったけど色んなことがあった3年間。1番の思い出は何か考えてみた。修学旅行?違う。文化祭?違う。部活?違う。似たようなことを繰り返した日々だ。朝眠がりながら登校して、授業中は寝たり喋ったり、たまに怒られたり笑休み時間はひたすら騒いで放課後部活して終わったら部活仲間とコンビニでアイスを食べて「また明日!」って言って帰る。そんなありふれた日常。毎日同じようなことを繰り返した日々。同じようだけど同じ日なんて1度もなかった3年間。最後のイベントである卒業式の日。「また明日!」このセリフもう言っちゃいけないんだ。次の瞬間繰り返してた日々の認識が私の中で当たり前ではなく幸せに変わった。最高の3年間だった。もちろんいい事ばかりじゃなかったし、山ほど辛いこともあったし、嫌なこともあった。どこにでもある高校生活。だけど唯一無二の高校生活。最高の。ありふれた表現だが大切な出会いたちのおかげで数え切れない思い出が出来た。いや、数え切れない思い出ができる。これからも。
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