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100年前の旅行事情

日本人はいつから欧米に出かけていたのでしょうか。
古くは16世紀にキリシタン大名たちが送った天正遣欧少年使節団(往路復路それぞれ2年!滞在4年!)、続く支倉常長の教皇謁見ですが、どちらも日本側のキリスト教禁止により成果は活かされることなく、徳川幕府の鎖国政策により、長崎の出島を除けば長く交流は限定的でした。

江戸末期から明治初めには一般人の渡航は禁止、海外渡航は基本「密航」。運よく外国にたどり着いたとしても、帰国すれば死罪が待っていました。とはいえ、幕末には各藩は密かに人材を海外へ送り、海外の事情を学んだ彼らが帰国後に政界、財界の中心となったのは良く知られるところです。その後明治政府が送る「使節団」や国費留学生が「洋行」し、さらに明治の終わりごろには特に公的な目的のない「外遊」に出るものも増え、物見遊山をメインとする頃には「旅行」と呼ばれるようになったものでしょうか。

今の私たちのような海外旅行にあたる最初期のものは、朝日新聞社が主催した世界一周旅行のようです。1908年(明治41)に行われたこの旅行には女性3名を含む56名が参加。太平洋ーアメリカ横断ー大西洋ーヨーロッパ(イギリス、フランス、イタリア、ドイツ)をめぐりロシアへ、そしてシベリア鉄道でウラジオストクへ、そこから敦賀に帰国する約3ヶ月の旅行です。当時の移動手段が汽車と船ですから、96日間の旅程のうち40日近くが移動にかかっていることが詳細な記録からわかります。旅行の手配は1894年(明治27)に神戸に進出していたトーマスクック。参加者は民間人ですが、行く先々で歓迎行事や公式行事が目白押し。添乗員はもちろん、主催者朝日新聞社々員も同行する一大パック旅行でした。費用は2100円(現在の貨幣価値で1000万円超)。同様の世界旅行は翌年、翌々年にも朝日新聞社やトーマス・クックの主催で開催されました。

それから17年後の曽祖父・金谷真一の旅行は、完全な個人の一人旅です。これに先立つ1916-17年にかけて、弟正造夫妻と米国旅行していますが、単身半年に渡る旅程をどのように考えて決定したのか、詳しい記録はありません。日記に書かれているのは「弟・正造らが6月のインド洋旅行は体力的に厳しいと言ったのでそれを参考にし」て、東回りにしたということだけです。行く先々で頼りにしたのはやはり世界最大の旅行会社トーマスクック。1906年(明治39)には横浜に事務所を設けていました。日記からは、各都市のトーマスクックの支配人と会い、旅程のアレンジを依頼するとともに、現地のホテル事情などの情報交換をし、日光や箱根について関東大震災からの復興状況を説明して送客を勧めたり、時には食事を共にして親しく付き合ったりしていることがわかります。

旅行中の連絡先はトーマスクック。何やらウキウキ感が伝わってきます。

真一の世界旅行は、視察とトップセールスをしながらせっせと観光し楽しむ、今で言えばワーケーションのようでもありました。もし真一が今の時代に生きていてインスタグラムを知っていたら、毎日大量の「映え画像」を送ってきていた気がします。

(ほぼ)100年前の明日6月1日、いよいよ真一は世界旅行に出発します。

参考資料:
小林健著「日本初の海外観光旅行ー九十六日巻世界一周」(春風社 2009年)
大久保喬樹「洋行の時代」(中公新書 2008年)

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