見出し画像

余白

『閑のある生き方』という本があります。
ずいぶん前に、湯治温泉の旅館にあった図書室で出会いました。

中野孝次、新潮社、2003年。

当時バリバリと働いていた気持ちの奥底に残ったので、帰宅後に購入しました。外にある価値ではなく、自分の中の「立派さ」を芯にするとでも言うのでしょうか。本当の勇気のいることだと思いますが、あちこちのページが折れていてあの時の自分を応援したくなります。

今学んでいる芸術大学では、幅広い分野を興味深く切りとった授業で、聞いていると自分の中で色々なことが勝手に結びつきじんわりと幸せな気分になります。
昔の文学の中に戯作ってありますね。なんと、戯作とは「知識人による戯れの筆」なのだそうな。そんなの常識でしょ、という耳が痛いお声も聞こえてきそうですが、それを知ってシビれてしまいました。なんと豊かで贅沢な遊び。。。だって、ありあまる知性やセンスを背景に、筆にまかせてウフフと楽しみながら書けるなんて、ものすごく自由。そう、遊びとは、こんな余裕がないとね。

そもそもは粋人や通人の間のもので、そういった人々は文学にとどまらず絵画や漆芸など、広く芸術に遊んでいたそうですよ。有名な山東京伝などでも、あえて煙草入れの商いをして文学以外で生計を立てていたとか。骨がありますね~。
それまで過ごしてきた自身の内側から湧き出てくる遊び。これは、相当な積み上げがないとちょっとやそっとでは出来ませんよ、みなさま。
そこで、あの本をまた思い出しました。
たったひとことから|美恩 (note.com)
ああ、これは半村氏の戯作なのかもな。

外に刺激を求め、反応や評価を手にすることも確かに楽しい一面はありますが、それで一杯いっぱいになってしまうのは何とも野暮でもったいないですね。大人らしくもない。
人生に余白を意識してみると、思わぬ自分が出現するかもしれません。わたくしめもここまで生きてきたのだから、そろそろ自分を面白がる余裕を持とうと感じた次第であります。よって、目下授業内容からはしごく程遠い学びをいたしております。評価の単位は、どうなる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?