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美しさに素直であること

昭和レトロなデザインが人気ですね。
現役で親しんだわたくしなりに振り返ってみると、あの頃は今のようなデジタルアートなど程遠いですから、にんげんが考え、創り出す美しさの範囲でした。
ですからきっと
自身の技術との格闘とか表現への悶絶などが潜んでいて、美に対するある種の謙虚な姿勢が通底していたように思えます。
綺麗なものがあることは喜び、というような、純粋さがあると思います。

そんなことを思い出させたのが泉屋博古館東京の 特別展 昭和モダーン モザイクのいろどり<br>板谷梅樹の世界 | 展覧会 | 泉屋博古館東京 <六本木> (sen-oku.or.jp) です。
モザイク画をはじめ、生活小物やアクセサリーまでが展示されています。
どれも、「美しいって素晴らしい」という素直な喜びを感じさせてくれました。

板谷梅樹《三井用水取入所風景》1954年

製作過程には相当な手間と才能が注がれたのだと伝わってきます。
モザイク材料や工具なども展示されていました。
隣り合う素材同士の色調、質感、大きさを吟味した配置や全体の印象を決める作品造りは、ハイジュエリーの工程と同じだな、と感じました。

そもそも工芸品は、明治時代を境にダイナミックに変遷をとげていますね。明治までの日本人にとっては、身の回りの日用品を飾ることも芸術でありごく身近であったものが、対海外を意識した万国博覧会を機に、「美術」なのか「工芸」なのかという新しい言葉の風に吹かれたことで、とうとう工芸品にも作家名がつくようになりました。
「用の美」とか迫真の技術の世界から、作家の「表現」へと移り変わったのですね。
そんなことをつらつらと考えていると、あの初代宮川香山は、本当に激動の時代にいたのだな、と思います。
世界にこれを超えるもの無し|美恩 (note.com)

板谷梅樹は、陶芸家として初の文化勲章を受章した板谷波山の息子だそうで、他の展示室には板谷波山の作品もありました。さすが、住友家の蒐集品の美術館ともなると、お宝が沢山です。
そういえば、わたくしはこちらの本を以前求めておりました。美術館に来たのは初めてです。

泉屋博古館 『泉屋博古館 名品選 99』青幻舎、2022年。

そのお父様の波山のブースを入り、なにげなく見渡すと、やや、あれは、という作品と目が合い、それを観るためだけに列に並んでみました。
それは、波山ではなくやはり息子の菊男の作品でした。
作家にはならなかったようですが、わたくしはその花瓶がいたく気に入ってしまったのです。
、、、、、きれい。とてもとてもとても感じが良い。
地の乳白色に浮かべた柄の色合いのコントラストが、柔らかいのに目を惹く。鳥と単純な植物柄は、あやうく拙さを感じるくらいなのですが、全体的ににじむような質感があり、薄い水色やピンクに、グレーや薄紫が感じられて、なんとも言えず、他に言葉が見つからない。感じが良いのです。
これは、技というよりきっと作者そのものの感性なんだろうな。
2度も並んで目に焼き付けた次第です。

上等とか、技術が高いとか、古いとか、有名とか、ことアートには様々なバッジが付くことが多いですが、そんなことよりも、自身が作品に素直に感動すれば、それが美しい。そして、美しいって心地よい。
そんな、のびのびした気持ちにさせてくれた展覧会でした。

「一度本物の絵を飾ってみれば、違いがわかる。絵を持っていないからわからないだけ」
とは、かつて強烈に働いていた画商の友人の言葉です。彼は絵については知識が無いとのことですが、売れる絵はわかると申しておりました。
そうだな、と思います。
アートほど、一次情報が大切なものはないと感じます。
ご興味湧かれましたら、ぜひおはこびください。










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