見出し画像

急性心筋梗塞(サラリーマン転期1)

43歳で急性心筋梗塞

高校を卒業し、会社員として勤続28年

子供の頃も、社会人になってからも、お金には特に困ることはなく生きてきた人生だった。

父が、自己破産したり、妹が覚醒剤に手を染めたりした事以外は、平凡な、ごく一般的なサラリーマンだ。
若い頃は、給料のほとんどを趣味であるバイクや車に注ぎ込んだ。

でも、貯金もしっかりコツコツ貯めていた。

30歳で結婚し、子供も二人、周りから見ると幸せな家族そのものだったと思う。

現に、私自身も、そこまで人生や家族に不満があったわけではない。

しかし、結婚してからは、もちろん独身の頃とは違い、平日は仕事、週末は家族との時間で、自分の時間などはほとんどなかった。

妻は、99%子供の世話に集中して、私とのことは洗濯物をしてくれるくらいである。

そんな、私にも唯一楽しみがあった。

それは、YouTube講演家「鴨頭嘉人」のYouTubeを見ることだ。

彼の公演を見て、勇気と希望をもらい、「俺もいつかは企業していっぱいお金を稼いで自由を手に入れるぞー!」と妄想を描いた。

最後に流れる音楽にもなぜか癒され(なぜか聞き入ってしまうフレーズとメロディー🎵)通勤中には必ずと言っていいほど社内で流していた。

それは、やがて仕事終わりに真っ直ぐ家に帰るのではく、車通勤だった私は、人通りの少ない所に車を止め、それを見入ってしまうほど夢中になった。

「いつか、そのうち、時間ができたら、俺も絶対、何か、やってやる!」

そう思っていた・・・・。

発症3ヶ月前

たまたま一人の時間ができた私は、久々にパチンコ店に足を運んだ。
今までパチンコは嗜む程度でハマる事はなかった。

今回も大丈夫、少し遊ぶだけ。

そういつものように自分に言い聞かせながら遊戯に入った。

ビギナーズラックなのか、いつも久々に打つとよく出る。
今回もそんな感じで、1万円が5万円になった。

悪い気持ちにはならない。

ちょうどこの頃、コロナ禍で職場はシフト勤務で1日おきの出勤となった。

妻にはその事は伝えず、自宅待機の日はパチンコ三昧だ。
近くだと知り合いに会う可能性もあるので、わざわざ少し離れたパチンコ店まで足を運んだ。

やはり、なぜか初めの頃は面白いように勝つ日が続く。もしかしたら、才能があるんじゃないか、なんて天狗にもなっていた。

しかし、そんな日も長くは続くわけもなく、負けが続くようになってきた。

打てばボーナスを当てる日々が懐かしく、忘れられない・・・。

とうとう、貯金に手を出し、気がつけば、貯金も底が見え始めた。

発症1ヶ月前

発症まで1ヶ月を切ったくらいの頃、仕事中、特に午後になると身体が重だるく、痺れるような倦怠感を感じる日が続くようになってきた。

半年ほど前から血圧も高くなってきている事に気づいてはいたが、特に運動するわけでもなく、毎日、昼ごはんはコンビニ弁当、仕事終わりにパチンコ店で閉店まで遊戯にひたり、貯金を減らし、家に帰れば、晩酌、それが日課になっていた。

酔っ払ってその場でうたた寝し、気づけば夜中の3時過ぎ。

仕方なく、後片付けをして、寝室へ移動、そのまま朝までもう3時間ほど寝る。

私の母が、ちょうど四十過ぎくらいに狭心症を患っていたので家族性高コレステロール血症が気になり血液検査は時々行っていた。

やはり、コレステロール値は許容外の数値を叩き出す。

だから薬は毎日飲んではいた。

だから、大丈夫、問題なし。貯金もなし。

発症の4日前

発症の4日を切った頃、ゆっくり体を休ませることができる丁度いい連休が続いた。

この時ばかりは酒もパチンコも控え、夜もしっかりと寝た。

しかし、倦怠感はなくならず、しかも倦怠感に波が出てくる様になった。

少し体を動かすとしんどくなり横になりたくなる。

少し休むと楽になってくる。を繰り返すようになってきた。

発症の前日

この日も倦怠感の波はあるものの、少し体も動くようになってきたような気がしていた。

昼には四川ラーメンを食べ(ストレスが溜まると辛いものが欲しくなる癖がありまして。)家族とデパートで買い物、普通のいつもの週末を過ごした。

夕方ごろ帰宅し、やはりまた倦怠感の波に襲われた。

少し横になっていた時、今度は猛烈な胃痛が襲ってたのだ。

少し、我慢していると治ってきたので、「昼間の四川ラーメンの刺激が少し強すぎたのか、やっぱり辛い食べ物はほどほどにしないとな」などと思っていた。

発症の当日

その日は4連休の3日目だった。

朝7時ごろ目が覚め、少ししたくらいから鳩尾あたりに違和感を感じ始めた。

「なんだろう?」と思っていたが、いっこうに治る気配はなく「水でも飲んだら少しは落ちつくかな」2階の寝室から1階へ降りて水を一口、二口と飲んだ。

それでも鳩尾の違和感は取れない。

それどころか、違和感から苦しみに変わってきたのだ。

リビングのソファーに横たわり、少し冷静に今の現状を自分なりに分析した。

血圧の上昇!倦怠感!胸の苦しみ

母親の狭心症が発症した年頃と今の自分の年齢が同じくらい。

心臓!!

「これは心筋梗塞だ!!」

そう確信した私は「保険は入っていたか、3大疾病はつけていたか」など、金の事ばかりきになって仕方なかったが、胸の苦しみが下顎あたりまで広がってきたあたりから、そんな事も考える余裕もなくなってきた

私は、持っていた携帯電話を「ローン 3大疾病」でググっていた画面から電話画面に切り換え、2階の寝室で寝ている妻に電話をした。

プルル、プルル・・

妻:「もしもし」

私:よかった起きてくれた。

私:「く、苦しい、ヤバイかもしれない。」

そう伝えると、妻はいつもより足早に2回の寝室から1回のリビングにドスドスと降りてきてくれた。

妻:「どうしたの?」

私:「胸が苦しくて、多分、心筋梗塞や!」

私:「救急車呼んで!」

妻:「え!救急車って何番やったっけ?」

妻も動揺していたのか、救急車を呼ぶ番号を思い出せない。

そうしている間にも私の胸の苦しみはどんどんと広がってくる。

私は、自分の携帯電話で119番をプッシュし妻に渡した。

私:「後は頼む。」

私はそう言って、自分の胸のあたりに手を当てた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?