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【感想日記】劇場版ポケットモンスター アドバンスジェネレーション 裂空の訪問者 デオキシス

夏の終わりのアローラ🌴

「夏の映画感想日記」第四弾。今回は「劇場版ポケットモンスター アドバンスジェネレーション 裂空の訪問者 デオキシス」を観ていきます。

今や伝説ポケモンの代表格ともいえるレックウザとそれに相対するデオキシスの物語。今に通じる部分もそうでない部分も両方注目してみましょう。


劇場版ポケットモンスター アドバンスジェネレーション 裂空の訪問者 デオキシス

2004年7月17日公開
監督:湯山邦彦
脚本:園田英樹
エグゼクティブプロデューサー: 久保雅一、鶴宏明
プロデューサー : 吉川兆二、松追由香子、盛武源
アニメーション監修:小田部羊一
総作画監督:毛利和昭
音楽:宮崎慎二
制作:小学館プロダクション
アニメーション制作:OLM
製作:ピカチュウプロジェクト

監督:湯山邦彦「劇場版ポケットモンスター アドバンスジェネレーション 裂空の訪問者 デオキシス」(2004)、小学館プロダクション

ポケモン映画のテーマといえば「共存」…というのは特に第二作目の「ルギア爆誕」で定着したイメージだが、それらに続くテーマとして「いかに他者を理解するか」というものも含まれている。

「他者」というのは自分とは異なる考え、常識、文化を有しているものを指す。そしてよくある思考実験として次のようなものがある。「宇宙人が攻めてきたらどうする?」

「宇宙人」というのは現実世界で考えれば地球に住む人類からみて外側に存在する者達だ。当然地球人とは異なる考え、常識、文化を有していることが想像される。それにどう立ち向かうか、あるいは共存するか…というのは特にSFの分野で開拓されてきた。

本作のメインであるデオキシスはタイトルにもあるように「訪問者」である。レックウザと闘って混乱を発生させてはいるが、デオキシスの存在自体は「悪」でも「敵」でもない。

作中には二体のデオキシスが登場する。一体はラルースシティに混乱を招き、一体はトオイの友達としてサトシ達を助けた。しかし、両者の行動原理に大きな違いはない。彼らは「仲間」が、「友だち」が欲しかっただけなのだ。

監督:湯山邦彦「劇場版ポケットモンスター アドバンスジェネレーション 裂空の訪問者 デオキシス」(2004)、小学館プロダクション

仲間との共存、というのは生き物が持つ根本的な欲求であり「宇宙人」であるデオキシスにとってもそれは変わらない。「他者」から自分達との共通点を見出し、親しみを持つというのは古典的ながら実感に基づいたアプローチだ。

未知なる「他者」を「ポケモン」として受け入れ「共存」する。この構図を最も端的に表現したのが「裂空の訪問者」であり、そしてそれは現在にまで続くひな形となっている。

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ウルトラビースト、パラドックス…完全に未知なる存在を「ポケモン」として受け入れることができるのは一重にデオキシスのお陰かもしれない。

しかし、今の時代に繋がることもあればそうでないこともある。それは「訪問される側」の扱いだ。そう、レックウザのことである。

監督:湯山邦彦「劇場版ポケットモンスター アドバンスジェネレーション 裂空の訪問者 デオキシス」(2004)、小学館プロダクション

この映画におけるレックウザの扱いはハッキリいって悲惨だ。デオキシスに勝手に縄張りを侵され、それに対して抗議したらサトシにやめてくれと言われ、挙句のはてにラルースシティのロボットに襲われる…。

「訪問者」にばかり気を取られ、現地者に配慮がなされないというのは現実でもある話だが…、これはこれで歪な構造である。この映画以降、レックウザといえばデオキシスとケンカしているというイメージが定着してしまったのは負の遺産といえるかもしれない。

しかし、現代において再びレックウザにスポットライトがあたった。そう、HZにおけるシンボルがこのレックウザなのだ。

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HZがレックウザが背負わされてきたイメージを打開することを願ってやまない。それによってはじめてデオキシスとの「共存」が成立するはずなのだ。

(了)


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